連続読物 レンジ系 1から6まで

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久々じゃないのか連続もの。書けるのか。どうでもいいけど、日記では有名人を引用して、それなりのこと考えているふりをしているが、完全に化けの皮がはがれているのに、おぞましいかぎりだが。
そういえば、夜更けの空気がいやらしく部屋にじんわりと侵入するのは、善い心地がするものだ。隣のアパートの若夫婦がそろそろ風呂上がりでイチャツク時間じゃないのか。妄想の花売りが歩道橋で凍える時間で、桜が見たいと言ったロシア人との約束をすっぽかしたのも1年前。頭が吹き飛ばされたテロ現場の死人は、それでも担ぎ出された。多分、母親には首から上も見えていたのだろう。
テレビを見てないが、久々のドリフのコントは、半分なつかしく半分悲しい。それはリーダーが死んだからでなく、すでにリーダーではなかったか。妙に涙がにじむのは条件反射のようなパブロフの犬の僕である。すっかり忘れていて、思い出したように書くことはあてどなく、どうでもいいことなのだろう。今日の僕の後ろの車のイチャツク男と女。女の方がけっこうブサイクに見えたけど、それって、けっこう許せる風景だったりする。ただ、バックミラーで見ただけだから、あてにはならない。
ジャスコに行って、土日はへきへきするのは、幸福家族を絵に描いたようにふるまう人々を見るからなのか。奥さんの見立てかもしれない小奇麗な服を着て、いかにもパパのようなパパと、子供連れにしてはスタイルのいい(まだ結婚前かもと思わせる)ママと。いいじゃないのか。たしかにいいことだろう。きっと、虐待と無縁な家族で、週に1回か2回ほどセックスして、週に1回か2回パパが料理をつくって、家事の分担があったりして、それはいいことじゃないか。シロイキョトウをみて、寝る前にベッドでドラマの話をする。
僕はパソコンのモニターの前にいた。世界のテロ事情を調べて(どうするんだ)それで、どうするんだ。無力なんだから、僕は市民になって、平和と戦争を考えるんだ。
(そろそろ、隣は開戦だな)
そそり立つ激情は、どこへ向かうんだ。
いいから、僕は何を書きたいのか。これは連続になるのか。連続という限りは、なんらかの関係が次回にあるのか?(まあまあいいじゃないか)
次回は次回なんだから。さっ。


不幸は忘れた頃にやって来る、幸福は思い出した頃にやってこない。
結局、絶望。
ボロカス人生でも2年か3年に1度くらいは、幸福の尻尾を見つけたいなんて、どうでもいいじゃない。刑事コロンボの晴れ晴れしない謎解きでも、犯人逮捕はいいじゃない。
僕の国道をすっ飛ばして帰ってきたよ。多分、タイヤが5cmほど浮いているような錯覚もあったよ。
散る散る満ちる。
ザックバランな話。キミのことを好きなんだ。いいだろう。よくなくてもいいだろう。いいだろうって、何が・・・。
最近、僕は飯粒こぼす。それって、くも膜下のマエブレだそうだ。生きて、後何年。ケロケロ。雁擬。
さあ、昨日の続きききたいな。
連続はいつかはとだえるんだ。
それはいつかは思い出になって。
それはいつかは、消えてナクナル。
消滅、消滅、消滅、消滅、消滅、消滅・・メツ、メツ、メツ
消えてなくなる。
そうなんだ、僕はいつか、消えてなくなり。
悪魔の兵器の一部の原子核になることもアリエル。
存在、存在、存在、存在、存在、存在、ザイザイザイザイ
あるけどない。
雨がシミルノハ、雨降りだから。
屋根裏の裏の屋根が濡れそぼっている。
ああああああああああああっつつ
続きは明日かな。



僕なんてブリブリでスカスカさ。
それで、いいだろう。
などと言われてもこまるかな?
昔、昔、むかし、むかし
 下院議長、チェイニー副大統領、議員、来賓、国民の皆さん。われわれは、法律と慣習に従い、毎年ここに集まり、わが国の置かれている情勢を検討する。今年は、これから先に待ちうける決定的な日々のことを深く認識しながら、この議場に集まっている。
なんて、
バカバカバカ
標記の件については、平成9年6月の本委員会報告書「劣化ウラン含有弾の誤使用問題に関する環境調査の結果について」の参考3において、
「今回の誤使用問題において想定されるウランの化学形態は、金属ウランや二酸化ウラン、八酸化三ウラン等の不溶性の酸化物であり、硝酸ウラニルなどの可溶性の化合物は想定されていない。
なんて、
もっと、バカバカバカ
「高コスト構造の是正」は、どのように評価するのか。つまり、「高コスト 構造の是正」はすべて悪なのか、それとも評価すべき「高コスト構造の是正」 はあるのか。あるとしたら、どのような方法か。
思想史の本を開くと、マルクス主義の次に実存主義が登場して構造主義へ、そして現在はポスト構造主義、であるかのように見えてしまうことがありますが、実はそうではありません。構造主義実存主義、そして初期のポスト構造主義は、多少の前後はあるものの大体同時代のフランスで起こったものです。
これって、コラバリです。
そうです。



連続していないものを連続しているような言い方はやめときましょう。だって『レンジ系3』はほとん酩酊していましたから。
小学生の頃、僕の50の姿は想像できませんでした。しかし、あと2年で50の歳になってみると、なんだこんなものかという感覚で、結局、おどおどしながら生きているに過ぎない自分に嫌気がさします。離婚して、すでに10年くらい経過するのですが、結局、結婚していた期間と同じほどになりました。天秤ではかればつり合うのですが、気分的には結婚していた時期の方が重いような気がします。独りで生きる方が、絶対的に気楽です。もう、結婚はしないと考えています。
主人公を登場させましょうか。
『ボク』にしておきましょう。
『ボク』はしがない奴です。どれくらいしがないのかを説明します。
一日中、生産的なことをしません。
11時くらいに起きます。1時間だけ東向きの窓のカーテンを開けます。別に風を入れるためではありません。道の向かい側のテニスコートをぼんやり見ているのです。テニスコートでは、誰もテニスはしていません。まさか、女子大生がいるわけでもありません。そう、雰囲気は老人会用のゲートボール場のようなおもむきです。
では、なぜ?
そうなんです。猫がいるんです。いない時もあります。黒猫のポールと白猫のエミリーです。近くで見たわけでもありませんが、黒猫が雄で白猫が雌のような気がします。だいたい、動きでわかるものです。
テニスコートに猫がいたところで、面白くもなくかなしくもありません。だけど、ボクは、猫がいてもいなくてもテニスコートをながめています。
昼は、『笑っていいとも』を見ています。これって、環境映像のようで、見ても見なくても気になりません。
昼過ぎから、北の窓のカーテンをあけます。線路が走っていて、ぼんやりとながめています。忘れた頃に電車が通過します。ワンマンの1両だけの電車で、都会の人には信じられないかもしれませんが、田舎では1両だけの電車が通るのです。そこには、何かの目的をもって移動している人々が乗っています。
まだ、『ボク』のしがない生活を知りたいですか。続きは、明日にでも。



僕は『ボク』のしがない生活のどのあたりまで書きましたか?書いてないかもしれませんが。お昼過ぎには、北向きの窓から電車を見ることまで書きましたよね。その後ですが、だいたい、DVDで映画を見ています。
新作はあまりみません。というか、ほとんどカネがあるとき買いだめしていたものを何度も見るのです。「ソラリス」と「ノスタルジア」は何度見たことか。それに「地獄の黙示録」のカーツ大佐の独白も。
そんなこんなで、夕方になって、パラサイトな『ボク』はママのつくる夕食を文句も言わずにとるのです。後は、パソコンの前に座っているか、本を読んでいます。
生産的でないでしょう。見ることは自分の中で何かがつくられることではありません。読むことも同じです。どちらかといえば、破壊に近いものです。得るものはありますが、これで、何かを構築しようというものではありません。最近は、幕末から明治にかけての読物が好きです。あの時代が、日本の一番輝いた時代のように感じます。タイムマシンがあれば、迷わずに、『ボク』はその時代を選択するでしょう。
みなさん。これを偶然に読んでるみなさん。
みなさんに告げます。
読めば読むほど無駄です。無駄もためになるというものでもありません。ただただ無駄です。無駄の10乗くらいは無駄です。
昨日、夢を見ました。
『ボク』は高校の数学教師です。どういうわけか、2年3組の日本史の授業を1コマ持っているのですが、その授業を毎回忘れてしまうのです。最初は生徒も先生が来ないものを喜んでいましたが、テストが近づくと全然勉強していないと怒りだしています。
その授業は水曜の3校時なのですが、その時間というのは、忘れやすいですよね。そう、思いませんか。とにかく、やっと、覚えていて、2年3組に行こうとするのですが、学校が迷路のようで、教室までたどり着けないんです。やっと、たどりついたら、すでに授業は半分終わっていて、こりゃだめだと思ったんですが、さすがに、生徒も目がつり上がっています。簡単に言うと、『ボク』はにらまれているんですが。
それで、授業始めようと思うと、教科書が違うんです。日本史でなく、数学なんですが、日本史なんて全然知らない『ボク』が教科書なしで授業できません。慌てて、欠席の生徒の机から日本史の教科書を探すのですが、その日に限ってないんですよね。
「ちぇ教科書持って帰るなよ」と言うと
生徒がさらに、にらんで
「いつも、持って帰って勉強しろと言うのは誰なんだよ」と騒ぎだす。
それで、こんな話はどうでもいいですね。どうでもいいから、今日はこのへんで。



これって、連続ですから、前回のこと書くと、あのような高校の先生の夢をよく見るんです。ボクは世界史が好きで、担当の先生は帝大出で、どういうわけか田舎教師をやっていたわけですが。その先生の授業は楽しみで、授業のたびに面白い本を紹介してくれました。たとえば、フックスの「風俗の歴史」とか、これを読むと人間の可笑しさがよく出ています。
それで気づいたのですが、役人と暴力団が黒塗りの車に乗って、街中をうろうろしてるんですが、あれって、けっこう滑稽です。笑いだしたくなる。

この話、このままでは、なんとも面白くないので、ちょっと、スパイスを振りかけましょう。そうしよう。そうしよう。

『ボク』が、ちょっと変わっているとしたら、それは、寛寿郎に呪いをかけていることだろう。1時頃、部屋の壁に寛寿郎と書いた人型の紙を貼っているのだが、それに、針を刺して呪いの言葉を浴びせている。
「痛いだろう。イッヒヒヒヒ・・・」
「苦しむんだよ」
「お前は苦しんで当たりまえさ」
「うううう・・・・おうおうおう」

夜中に、部屋でロウソクの灯のもとで、こんなことやっている『ボク』は、どうしたんだろう。これも生産的ではない。

佐藤友哉 「エナメルを塗った魂の比重
ある人間の生活の一部をカットしたものと人生全てを比較すれば、比重の違いは明らかだ。

そうなんです。『ボク』の呪いの部分だけをとり出さないでください。『ボク』はボクで、別に全体を見渡せば変ではないのですから。みなさんもそう思うでしょう。
しかし、・・・
そうばかりは、言っておれない事態にになってきた。

ちょっと、スパイスがきいてきたかな?
ということで、また次回へ。