その1

「バス、ノットリました」
少年は、くったくなく言う。
高速バスでなく、これは循環バスなのだ。
循環するだけのバスをキミが乗っ取ることに意味があるのか。
循環して、もとにもどって、そして、また、出発して、またもどる。
このバスは死ぬまで、同じ道を繰り返し通るだけなんだ。

ノットリました」と言ったよね。
それって、循環するバスには意味がないし、キミも、その循環の一員になるだけだ。
「僕の言うことをよく聞いてください。あなたたちは循環するバスに乗り、その一部分にすぎないのですが、それを利用しているのです。バスは生真面目に循環し、あなたたちはその一部を利用している。不条理です」


僕は、唐突にF先生のことを書こうとしている。
本来、僕にはF先生のことを書く資格はないのである。
なぜなら、僕はネット上でしかF先生のことを知らない。
そのような僕がF先生のことを書こうとしている。

少年は続ける。
「あなたたちそのものが家を起点として会社や学校に行って、また、もどってくるという無意味な循環行動にあけくれている。たまには、家族旅行やデートなど、ちょっとテレビで紹介された『うまくもないレストラン』や、手打ちのそば屋に行ったり、つまり人生のアクセントみたいなもの・・・、だから、クダラナイお前らの人生の循環の一部にこの循環バスの一部を無造作に利用している」


僕はこのF先生に向けての一文が、どうなるかも予想できないし、妥当なものかもわからない。自己満足の嫌悪されるべき駄文にすぎないだろうが、それでも、しばらく書き続けるだろう。

少年は続ける。
「循環をやめよ。つまり、僕はこの循環バスをノットリ、バスを解放する」
つまり、キミは循環バスをこの循環の軌道から外すということ。
「僕にとっての幸福は、多くの場合は他人にとって不幸でしょう。しかし、断言できます。循環バスを・・・そう、あなたの言うところの軌道から外すこと・・・これは、まったくもっての偶然ですが、あなた方にとっても幸福につながるものだと確信します」