循環バス

まったく無礼なことだが、フクロウ先生の作品を一つ紹介したい。フクロウ先生には迷惑なことだと思うが、フクロウ先生の書く文章「循環バス」を知ってもらいたいことと、少しばかりの僕の書くこと「無常のきずな」の参考にでもなればと考えている。
 フクロウ先生、お許しあれ。

循環バス 2001 11/21 21:45 フクロウ先生

 高3の時の担任は体育教師で、明朗会計の居酒屋みたいな性格だった。この頃の私は間違いなく暗かった。バカでちょっと下ネタ好きの女子高生を装っていたが、家の中はメチャクチャだった。父の精神の病が悪化したのか、夜になるとカッターで切り刻まれた。次第に傷は隠しきれなくなり、養護教諭が精神科の校医に連絡してしまった。
 私は事を荒立てたくなかった。一家の主が異常のレッテルを貼られれば、我が家が崩壊してしまうと思っていた。だから私が我慢すればいいと信じていた。しかしある日母の職場に連絡が行き、校医と担任と養護教諭の立ち会いのもと話し合いがもたれてしまった。私は母が何と答えるか大体予想が付いていたから、その言葉を聞きたくなかった。
 その時の様子を養護教諭は私に「悪魔が笑ったようだった」と言った。話が核心に触れると母は一呼吸置き、そして高笑いしてこう言った。「その子は頭がおかしいんですよ。小さい頃から何を考えているのかさっぱり分からない、不気味な子どもらしくない子どもでしたから。そういう事実は一切ありません。」それで校医もすっかり困ってしまった。
 私ぐらいの年になれば、虐待は現場でも押さえない限り立証は難しいし、保護される確率も低くなる。母親がこう言ってしまえば尚更だ。私はやはりこの話し合いを後悔した。むしろひどい目に遭うかも知れない。あるいは周囲の警戒を恐れてひどい目には遭わなくなるかも知れないが、この話が他人に漏れたことで、もう家族は崩壊への道を辿っていた。
 私と担任教師を外した話し合いが少し行われた。廊下に出たところで担任はまじまじと私の顔を見て、「お前ってホントに可哀想だよな。」と言った。この担任が気の利いた台詞を言うとは最初から思っていないが、「可哀想」などとストレートにくるとは思わなかった。私は可哀想なヤツか。そうかな。そうかな?その言葉がいつまでもモヤモヤしていた。
 私を心配した校医が家まで話し合いに来てくれた。そして私は行政には保護してはもらえないが、自腹でユースホステルにしばらく住むことで難を逃れることになった。ユースに引っ越す日、父は無言のまま車で送ってくれた。そして別れ際に「もう二度と家には戻ってくるな」と言った。世間体を壊す私の存在は邪魔者だった。
 このユースについては過去の日記【マリア】を参照してもらえば、もう少しよく分かるかも知れない。ここは激安なので日本人が泊まることはほぼ100%なかった。外国人しか泊まらないのに、ホストファミリーは日本語以外は一切話さない人だった。客の多くはアジア系の人々であったが、年末にはアメリカやヨーロッパ系の人でも賑わった。
 私の部屋は2階の和室で6畳2間続き。客のいない時期には一人きりだが、基本的に相部屋なので年末は人口密度が上がる。有料テレビが1つあるだけで何もない。お金がないから食堂のテレビを見たかったが、小心者の私には不可能なことだった。部屋の一画に気休めに持ってきた受験用の参考書を積み上げたが、それで勉強したことはなかった。
 学校のある時期はいいが、年末年始に入ると同級生たちは家で暖かく過ごしている。私はお金がないからためにためた洗濯物を抱えて、近くの寂れたコインランドリーに行く。誰かが置いていった(あるいは捨てていった)ボロボロの古いジャンプを何度も何度も読み返して、寒さに震えながら洗濯物の見張り番をしていた。洗濯機の音ですら愛おしい。
 お金がないから近くの倒産寸前のスーパーに行って、100円より安いカップラーメンを買ってくる。よせばいいのに買い物の品を詰めるカウンターの脇の、ジャンケンのコインゲームをやってみた。勝ちに勝ってコインは50枚にもなってしまい、これが100円玉だったら腹一杯食べれるのになあと思いながら、一応はそれらをズボンのポケットに詰め込んで帰った。
 通学用に買っていたバスの定期券があった。「中央循環」といって市の中心部をグルグル走っているバスなら乗り放題の定期券だ。耐えられないほど時間はあるのに、居場所もお金もない私は、その定期券を使って意味もなくバスにずっと乗っていた。始発も終点もないバスに、いつまでもいつまでも乗っていた。同じ景色を灰色の目で眺めていた。
 しかし時には休憩に入る運転手に、訝しげな目つきで「お客さん、降りてもらえます?」と言われてしまう。そこから私が向かうのは、駅の裏側にある代々木ゼミナール。受験戦争に年末年始は関係ない。ここに行けば同い年の人間がうじゃうじゃいる。受講生でもない私は人混みに紛れて少し安心する。一階にある売店らしきところにフラッと立ち寄る。
 書籍コーナーで買う気の全くない問題集やら参考書をいろいろ手に取ってみる。受験生のフリをする。まあ受験生に間違いなかったが、私の脳の中に受験を考える部位は存在していなかった。初めは安心した人混みも、だんだん虚しい感情ばかり溢れさせる。同級生は受験に夢中なのに、私は完全に取り残されているような気がした。
 その足で駅に向かう。2階の待ち合わせ場所で定番の、ステンドグラスの前に行く。たくさんの無関心な人間たちが、時計ばかりを気にしていらついている。まだ携帯の普及していない頃だから、会えるか会えないかみんな不安なのだ。そしてその相手がやってくると、シクラメンみたいに明るい顔で大人げなく手なんか振ってみたりするのだ。
 そういう人間を何人もやり過ごして、私は意味なくここに立っていた。誰かを待っているフリをして、時折時計なんかを覗いてみた。私の存在を怪しむ前に、周囲の人間はすべて入れ替わる。誰も私のことなど気にしない。ここに私がいてもいなくても、誰も気にする人間などいなかった。寂しい?孤独?浮かんだ言葉を頭から締め出せなくなっていく。
 そして再び循環バスに乗り込んでいく。街は年末年始を楽しむ人で賑わっている。ポケットの中の使えないコインをじゃらつかせながら、私はただ呆然とその光景を、遠い国の戦争でも眺めるみたいに見つめていた。私には幸いにして寝床がある。しかしそこは私の帰る場所ではない。他人が集まり消えていく場所でしかない。
 終点のない循環バスに乗りながら、終わりなき放浪をする私。グルグルグルグル回っても、私の辿り着くところは見つからない。今でも私の心は循環バスに乗ったままだ。落ち窪んだ目で流れる景色を眺めては、流れる人を眺めては、押し寄せる孤独を否定することに必死なのだ。このバスを降りられる日はいつ来るのだろうか。

当時の僕のつたない感想。

  循環バス(2001 11/21 21:45)フクロウ先生 を読んで

 循環バスの不条理の世界は何だろう。出発点も終着点もない、ただ、ぐるぐると回る。回る相対運動で、自分が静止していても、何だか活動してるみたいで、でも、それは幻想である。
 幻想のワンダーランドで戯れる。チューブから押し出される辛子みたいに、君は家を出ていく。希望はなく、行き着く果てのユースホステルは異国の人の集合体で、そこには、やはり、やすらぎはない。
 コインランドリーの洗濯で、機械的な回転音さえ子守歌のように温かい。無人の街の灯の下で孤独を深呼吸して、吐き出す息の冷たさよ。循環バスでただよいながら。帰着する場所は、異国の風の吹きだまり。
 存在の限りない孤独は、必要性の中でさらに白日のもとにさらされる。待ち合わせの約束という契約をした人々と君の対比は鮮やかで、契約のない君は自分に時計を見る義務を負わせ、演技という猿芝居で自分を周りと同じ空気にしてみても、ピエロの自分が浮かびだし、孤独がいっそう浮かび上がる。
 かといって、帰る場所は、レンタルルームのわびしさで、ただよう心と身体をつなぎ止めるには、あまりにも頼りない。循環バスには今も乗っています。だけど、いつかは降りたいと思っています。だって、そろそろ大地を踏みしめて歩きたいから。

 「地球」
 地球自体が太陽を回る
 循環バスみたいなものさ
 だから、心配しなくていいよ
 地球から降りて行っても
 そこはもっと寂しい孤独な
 宇宙空間

 「生きるって」
 生きるって
 循環バスから降りたり
 循環バスに乗ったり
 することかもしれない
 だから
 気が向いたら降りてみて
 背伸びしようよ
 気が向いたら乗ってみて
 気分転換
 何も変わらないようで
 外の景色も自分も変わってる