外交官の死

 イラク担当の日本人外交官2名が殺害された。これも、イラク戦争の犠牲者であろう。献身的にイラク復興に向けて働いていたという報道があり、これによって、イラクへの日本の関わりには大きな障害ができたことになる。現地の情報は、南部は比較的安全であるというものと、比較の問題であって危険な状態にあるというように錯綜している。

 例の「日本へのテロ予告」が報道されて、イラク日本大使館への銃撃があった。この銃撃に対しても、明確に「日本に対するテロ」を意識をさせるような報道が弱かったように思う。今度の二人の日本人に対する襲撃も、報道姿勢は慎重である。もちろん、テロ行為だと煽る必要はないが、あまりにも政府の情報収集能力が低い。

 このようなテロ行為は予想されたものだが、それに対する防御策があまりにも無策すぎたように思う。もちろん過剰な警備も逆に目立つという面があるが、かなり危険だと予想された地域に出向くのであるから、もっと安全対策を組むべきである。テロだと仮定するならば、相手側の情報収集能力は甘くはみれない。かなり詳しい情報をやりとりでき、その計画も単なる思いつきの段階ではない。それだけの計画を立案でき実行できる組織があるということである。

 ここで気になるのが、今後のこの事件のとりあつかいである。このような悲劇的事件をどのようにとりあつかうかである。事件が起きてからの今後の対応も大事であるが、今後、この事件が日本でどのように報道されるかが問題である。一つの報道のあり方として、このような危険な状態では文民による復興支援は困難であるから、自衛隊による活動が必要であるという趣旨により展開されないかである。80%が自衛隊の派遣に反対する中で、この事件がどのように利用させられるかは、国家が行う情報操作という点では、警戒が必要だと思う。

 さらに、自衛隊はより重装備による派遣が安全性を高める上で重要だというような論が繰り広げられる可能性がある。行き着くところは、改憲論議になるのであろう。現実の憲法が現実社会のあり方にマッチしていないから、現実に即した憲法をつくるべきであるという論議である。憲法の精神をゆがめておいて、その現実に整合させようという議論も、かなり乱暴であるが、そのような論理は受け入れやすい土壌がつくられている。

 今回のイラク戦争の出発は、アメリカの独善的判断と強引な理由付で、国連の合意を得ないままに始まった。「テロとの戦い」という視点から、アルカイダイラク政権の関連を明確にしないままに、それは「正義の戦争」に押し上げられ、熱狂の中でアメリカ国民の支持を得た。イラクフセイン独裁国家であり、大量殺戮兵器を隠し持つ悪の枢軸である。フセインと彼をとりまき支援する人々を抹殺すべきである。これらの論理は、適切な検証を受けないままに、アメリカの正義を補強するためにつかわれた。

 今後、イラク戦争に対する日本の態度はどうなるか。それは、今後の報道のあり方や、政府のコメントに十分注意すべきであろう。それによって、どのような日本の方針なのかを読み解かねばならない。