狂気の引鉄

 イラク情勢は急激な進展を見せている。戦争の開始が03年3月21日の「衝撃と恐怖」作戦であった。予想をはるかにしのぐ勢いで、米英軍はバクダッドを陥落させ、イラクを力によって制圧した。この戦争の最中に米政権は、5キロトン以下の小型核兵器研究開発を禁じたファース・スプラット条項廃止を議会に提案している。

 早くも5月2日に、ブッシュ大統領は米空母リンカーン艦上で「戦闘」終結宣言をした。この宣言では、米英の同盟軍の軍事力の優秀性を誇り、テロ勢力が危機的状況に追い込まれたと宣言し、さらに、この期間に兵士の家族に150人の赤ちゃんが付け加わったことまで言及した。メディアを意識した軍服姿のブッシュ大統領はご満悦であったが、見識がないと批判された。

 5月24日には小泉首相ブッシュ大統領は会談し、ブッシュ大統領自衛隊の後方支援を評価し、小泉首相自衛隊派遣に意欲を示した。 日本では、6月6日にテロをてことしながら、情報操作を駆使して多くの懸念と反対を押し切って「有事三法」が成立した。6月12日にCIAがイラクのウラン購入計画を偽情報と承知で政府に報告しなかったことが発覚した。ついに、7月8日に、米政権は米議会の戦争容認の根拠となった「イラクウラン入手疑惑」を誤りを認めた。

 一方、同盟の柱であるイギリスでも、イラク戦争の正当性に関して疑惑が噴出してきた。7月7日に英下院外交委員会は、ブレア政権がイラクの脅威を不当に強調したとする調査結果を発表した。その後、ブレア首相は「嘘つきブレア」と揶揄される。

 7月26日に政府はイラク復興支援特別措置法を参院本会議で与党が採決強行、賛成多数で可決成立させた。自衛隊の後方支援体制が、法的に可能になってきた。

 8月19日、バグダッドの国連司令部のある建物で大規模な爆弾テロが起き、24人が死亡し108人負傷する。イラク主権回復を訴えたデメロ国連代表も死亡した。その後、テロの対象は米兵に限らず、国連職員を含むあらゆる市民が対象となり拡大してきた。