憲法改正と天皇

 最近、一番聴いている曲は、クラフトワークの「Computer World」なんだけど、このようのな曲は、シンセ第2世代としてはクラシックなんでしょう。

 さっそく、僕が予想していたような動きが出てきた。毎日新聞の記事によると、http://www.mainichi.co.jp/eye/feature/nybomb/afterwar/art/031202E031_0101001410DA.html
ということで、自衛隊を在外公館の警備につかうというものである。

 文民によるイラク復興は困難であるから、自衛隊を派遣しなければならない。その自衛隊イラクでは何が起こるのかわからないから、さらに、武装を強化するという流れが進みそうである。さらに、いっそ足かせである憲法9条を「改正」して、自由に軍隊を派兵できるようにしようというものに進むであろう。

 日本のなし崩し的手法である。議論を正面から取り組むこともなく、後回しや拡大解釈による解決のはかりかたである。憲法論議にしても、現憲法の規定を最大限にいかす立場でなく、これを解釈によりゆがめておいて、現憲法が現実にマッチしていないという論法で改憲論議をすすめようとしている。これは教育基本法の「改正」についても、同じやり方ですすめようとしている。法の精神を生かさぬ前に、現実に合わないという論点で変えようとしている。

 僕自体の憲法9条に関するスタンスは、その成り立ちを考えると、昭和天皇を戦犯として東京裁判の被告にしないことを最優先にした結果であると思う。憲法第1章において、天皇を象徴として位置づけ、それだけでは、連合軍側の合意を十分に得られないがために、マッカーサーが9条において、日本が軍国主義化しないための歯止めとして打ち出したものだと言われている。

 そうであるならば、天皇が戦争責任から逃れたときに、その本来の使命は終わっていた。終わっていたのに、今まで憲法9条がそのままであったのは、憲法9条を論議改憲することは、直接的に天皇の戦争責任を再度論議することにほかならないからである。少なくとも、過去において、9条で、天皇の戦争責任論にフタをしていた。まさに、9条の改憲は、そのフタをとることになるのである。

 昭和天皇の死から15年、何度も憲法問題がとりざたされ、そのつど、それが行われなかったのは、護憲派の勢力があったからというものもあったかもしれない。しかし、もともと現憲法が、占領軍の日本の平和的統治と天皇を利用して国民の統制をはかるといもの−そのためには、まさに、昭和天皇を戦犯にして断罪することがマッカーサーにはできなかった−のためであったからだろう。

 憲法改正論において、天皇の問題は疎んじられている。しかし、憲法の成り立ちを考えると、9条と第1章の天皇条項は深い関連がある。これを無関係に論じるのなら、憲法アメリカから押し付けられたとものだと罵倒する以前の問題だろう。そのように思ってしまう。