すりかえ

昨日の小泉首相の要旨http://www2.asahi.com/special/iraqrecovery/TKY200312090255.html がある。ここにはないが、気になったことがある。それは、日米同盟の強調と米国を唯一の同盟国といいきることである。いつのまに、日本とアメリカは運命共同体になったのだろう。

外交の戦略としても、いかにも稚拙である。アメリカのみの依存がいかに危険であるかの分析もない。少なくとも、アメリカは日本をパートナーと考えても、運命共同体などとこれっぽっちも思っていない。ブッシュ大統領が来日した時に見せた小泉首相のゲストを招いた姿でなく、自分から愛想に徹した姿勢を見て幻滅した日本人も多いのだろう。

小泉首相の幻滅するのは、慣れているのでいいのであるが、今回の決定は見過ごすことはできない。自覚無き者の決定は、それが、無自覚であろうが、トビラを開けた者として生きていく責務はあるのだろう。彼にそれを求めても無駄であるのかもしれない。それでも、敢えて言うならば、外交官の死に対して流した涙の幾千倍の涙を日本国民は流すのだろう。

それが、謀略としての死として、それでも、崇高な平和の目的の達成のためのものと思っても、イラク国民と差し違えながら、目指したものが吐き捨てのごとき同盟の崇高さなどに置き換えられるのなら、いかにも惨めでる。僕らの生き方は、あるものと置き換えるためでなく、少なくとも、自分の考えた理想に近づくために生きるように感じる。

それが、困難であっても、それはそれでいいように思う。国家の謀略のためにおとす命などは無いのである。イラク国民の言う国家戦略の果ての放射能汚染による被爆認識は、共通体験として共有化できるではないか。それを捨て盲従し、さらに、自らの積極的派遣意識は、僕には到底理解できない。

小泉首相は最後にこのように述べている。

多くの国民が敬意と感謝の念をもって送り出していただきたい。
日本国の理念、国家としての意思が問われている。日本国民の精神が試されている

もう、・・・どうしようもない気分である。
最後に小泉さんは、自分の判断を国民にすりかえてしまった。
国民の精神は回答をだしているのに。
国家が国民と異なる回答を出して、
それに整合性を求めるために、
国家に従うべきであることを「日本国民の精神が試されている」とごまかしている。
僕はそのように思ってしまう。