手がかり

村上春樹氏による映画「A2」の批評がある。
http://news.kyodo.co.jp/kyodonews/2002/aum/a2-1.html
彼は地下鉄サリン事件の被害者−事件当日満員の朝の地下鉄に乗って仕事場に向かっていた「普通の人々」−にインタビューし、その後、信者(元信者)にも同様に行っている。
ここに、次のような一節がある。

普通の人々
 しかし両者のどちらのヒストリーが僕の心にしみたかというと、圧倒的に「普通の人々」によって語られたものの方だった。なぜならそのような人々の語るヒストリーには、現実にしっかりと根ざしたものでなくては獲得し得ない深みがあったし、奥行きがあったし、それは小説家としての僕の意識に確実にコミットしてくる種類のものであったからだ。
 それに比べると信者(元信者)の語る個人的ヒストリーの多くは、たしかに通常ではない経験を含んではいたが、立ち上がり方が平板で奥行きに乏しく、そのぶん心に訴えかけてくるものが希薄だった。より一般的に話を敷衍(ふえん)するために、「ヒストリー」を「ナラティブ(物語)」という言葉で置き換えてもいい。

このことが意味するものは何であろうか。
村上は修業という閉鎖されたサーキットでの危険性を次に指摘している。この当たりから、何か読む解く手がかりがありそうな気がする。