馴れ合い

lovelovedog氏の「馴れ合い回避とか」http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20040725を読んでみて、ちょっと僕も気になっていたことだから、書いてみる。
馴合【なれあい】というものは、国語大辞典(新装版)(C)小学館 1988によると、次のようであった。

 1.互いにしめし合わせて、事をたくらむこと。
 2.「なれあいふうふ(馴合夫婦)」の略

また、馴れ合う【なれあう】について。

 1.互いに馴れ親しむ。なれむつぶ。
 2.男女が情を通じ合う。密通する。野合する。
 3.互いにしめし合わせて悪事をはかる。ぐるになる。
 4.(2から転じて)しっくりする。よく調和する。

はてな」のようなblogでは、内容に関するコメントの応酬があるが、その中で、同じ立場にあるものは「馴れ合い」を演じているようにみえることもあると思う。
lovelovedog氏は次のように書いている。

「だよな」「だよね」的日常話体的文章がコメント欄にあると、第三者には多分馴れ合っていてキモチワルイように思えるからなのでは(思いすぎ?)。

キモチワルイかどうかは別にしても、そのような馴れ合い的なやりとりは案外、多いものだと感じている。(実際、キモチワルイ場合が多いだろうけど)
ある日の自分の書いた内容(日記)について、誰からかツッコミを入れられると、その周辺の仲間から、フォローのコメントがあるもので、中には「馴れ合い」的になるものである。「荒しにあうことはネットでは常々だからドンマイね!」のような励ましのコメントがつくものだ。このタイプ馴れ合いは、このようなことで、自分の犯した自分のミスを「ないものとする」もので、重要な指摘をないがしろにしてしまう。
一面、対立するようなコメントの応酬にも、馴れ合いはひそんでいる。批判や反論しながらも、どこか相手に馴れ馴れしい態度で、僕たち批判はしあっているけど、実は、このような突っ込んだ意見がいえるのも、お互いの信頼関係があるからなんだと言わんばかりものである。
これも、当人の自己満足になるかもしれないが、馴れ馴れしくされる方からは、当惑というか迷惑な場合があると思うのだが。
僕の場合は、誤解を生まないためにも、コメント欄には「です・ます体」で書くように心がけている。ほとんど、コメントすることもないが。
このような馴れ合いが生まれやすい一つの原因に、携帯でのメール交換にあるのではないかと思っている。電話では口に出来ないことでも、携帯メールだとカンタンに書けてしまう。表現も馴れ合いになりやすい。
この携帯メールの感覚が、コメント欄の書き込みに影響するのではなかろうか。面識がある人へのメールも、面識のない人へのコメント書き込みも、そのボーダレス化がすすみ、お互いのblogを読みすすむ中で、一定の批判や同調を繰り返し、面識がなくてもお互いの馴れ合い的感覚が膨らむように思う。