消費文化

[メモ]消費文化
電氣アジール日録の「積極的親米試論」http://d.hatena.ne.jp/gaikichi/20040720を読みながら、保守とは、保守するものとは、何だろうかと考えてしまった。僕の場合は、保守という言葉自体をつかわないが、それは、意識的ではなく、無意識にそうしていたのだろう。使うとしたら、新保守主義とか・・・くらいだろうか。
保守と革新という一対の言葉に、その意味があったのは、いつの頃だったろうか。保守が、何を守るべきとするのと同じように、革新が、何を変えようとするのか見えないのだから。
「伝統文化保守」でなく「消費文化保守主義」という発想には、説得力はあるだろう。実際、食糧危機が訪れても、コンビニで買い物できるからいいと思っている人はいるのだろう。僕らの周りの24時間の生活支援体制が、日常に組み込まれて、それが、通常になっている。

http://yamabuki.ewoman.co.jp/business/matsubara/12.html
松原隆一郎

評価基準が何らかの形で共有された時、初めて消費文化というものが生まれてくるのだと思われる。

http://www.ccn.aitai.ne.jp/~iso/it.htm#00ni
千明邦男「二、 消費文化の本質」

消費文化というのは、無限に純粋に個人の欲望を開放してゆく運動であり、それ以前に考えられていた社会の基本と本質的に対立するものであった。これまで考えられてきた家族や国家は、個人の欲望や自由を一定の枠にしばりつけ、道徳や規範で制度化するものだからである。

消費に明け暮れながらも、消費について無頓着であること、そのようにあり続けることが可能であることが現状なのかもしれない。そのような状態を、対米従属という枠組みで維持することが、「消費文化保守主義」という言葉で表されるのなら、そのような視点も重要だと考える。