新横浜

フクロウ先生が書いた多くのものの中でも、僕には印象深く残っている作品である。それは新横浜のホテルでフクロウさんは人類の虚妄を飽食するかのようであり、その時、写真もアップされていた。その写真の有り様からなのか、いや、そうでなく、文章の中からホテルの一室で天井から吊るされたスポットに照らされるように、フクロウさんの姿が見えたような気がしたものである。
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新横浜 2001 11/18 20:59 フクロウ先生

 小舟さんの書き込みで「新横浜」という言葉を目にした。新横浜には過去に一回だけ行ったことがある。3日間滞在したが、多分この先一生行くことはないと思う。写真を一枚「盗撮」の方にアップしておいた。夫と写真を撮ったのは「新横浜」が最後だった。
 写真の日付は2000年1月27日になっていた。26日〜28日まで行っていたと思う。前年の春先から私たち夫婦は危機的状況にあり、その年の10月と12月の2ヶ月間私は拒食症の治療で入院していた。その3日間夫は新横浜に出張で、一人で行くと疑われると思ったのか私を同行させた。同行させたが私は1人でホテルに缶詰だった。
 新横浜は横浜と違って観光名所は「ラーメン博物館」くらいしかない。まあ交通の便はいいものの何もないところだ。駅に隣接したホテルに1人取り残された私は、体力的にも横浜の方まで足を伸ばす元気はなかった。精神のバランスを完全に崩した私は、その頃ひどい摂食障害に陥っており、食べ物に執着することで生きながらえていた。
 そういうわけで、私は駅に隣接するホテルの、さらにそのホテルに隣接したショッピングセンターに日に何度も通い詰めた。そしてそこの食料品売場でとんでもない量の食料品を買いあさっていた。低血糖のせいでブルブル震えながら、見るものすべてにしゃぶりつきたかった。慣れない場所への不安と耐えられない時間を潰すには食べるしかなかった。
 両手いっぱいに買い物袋をぶら下げて戻ると、私はすぐにブタもビックリするほどの勢いでガツガツ食べた。大きなビニール袋で2〜3個の食料をたいらげると、すぐにトイレに向かう。そして水をがぶ飲みして吐きまくった。自分が納得するまで何十分もトイレに立てこもり、お腹がペチャンコになるとホッとして部屋に戻った。
 しかししばらくすると私はまた耐えられなくなって買い出しに出かけた。食品売場のオヤジの「箸は何膳つけますか?」という問いに、私が「一膳でいいです」と即答するので彼は充分怪しんでいた。数時間おきにやって来る私は、きっと売場中で要注意人物になっていた。ガリガリに痩せた女が一日中食い物に釘付けになっていれば当たり前だった。
 夜になるとその食料品売り場は閉まってしまう。夫は帰ってきてもすぐにベッドでいびきをかいて寝ていたので、私は部屋の窓から外を眺めていた。そこからはいくつかのコンビニの灯りが見えた。すると私はもう耐えられない。1人寒空の下食べ物目指して出陣していくのだ。がらの悪いコンビニ定員には目もくれず、私はどこに入るか分からない量の食料を買った。
 部屋に戻ると眠そうな顔をした夫が「また買ってきたのか。」と力無く呟く。夫が私という存在そのものに疲れ切っていることはもう分かっていた。新横浜になんて来なければよかった。何か変わるかも知れないという淡い希望を抱いていたが、二人の溝が埋まることはなかった。その時撮った写真がこれだ。変な顔をしたのは絶望を悟られたくなかったからだ。
 床には私の食べ尽くした残骸が転がり、栄養失調で抜けた髪をカバーするのに伸ばした髪もばっさり切った後だった。細身のセーターもズボンもブカブカで、私はこれから一瞬胃袋に押し込めてトイレに放出する食べ物を片手に白目をむいて写っている。その光景も、私自身も「廃墟」だ。それを隠そうとおどける私はピエロよりも道化だった。
 だから「新横浜」と言っても、私の中には「喰って吐いた」記憶しかない。帰りの新幹線も無言のままだった。帰ってからも無言のままだった。その後私は夫の帰りを待てずに大量服薬し、生死の境を彷徨った。私が棺桶に片足を突っ込んでいる時も、夫は仕事を休むことはなかった。私が食べなければ保てなかったように、夫も仕事によって精神を保っていた。
 「新横浜」に行った時にはもう二人は終わっていたと思う。形だけの旅行をしてみたが、やはり手遅れだったようだ。それを確認する作業になってしまった。この時撮った写真はお互い死人みたいな顔をしていて、今見てもひどく惨めな気持ちになる。最後の旅行の、最後の写真。最後の望みの灯が消えたことを確認する二人。
 今は夫のことも思い出さないし、誰かを待つ生活もしていない。それでも私は押しつぶされそうな耐えられない時間を埋めるために、今も恐ろしく食べ続けている。生きることも死ぬことも受け入れずに、生きるためでも死ぬためでもなく食べている。胃が破裂しそうになりながらも、時には涙を流し苦しみながらも、それでも食べることをやめられない。
 絶望というブラックホールを胃袋に見立てて食べ物を詰め込んでみるが、それでも底なしなそれは満足することなくむしろ私を飲み込んでいく。「新横浜」で埋まらなかったものは、今もきっと埋まっていない。さようなら「新横浜」。まだ私は生きているが、私の中の何かは死んだまま。でもその何かは「新横浜」にはないから、もう行かないよ。