昨日、「埋火」というバンドのライブを聴きに行く。演奏が格段に上手になった。ボーカルにも安定感が出てきた。秋には2枚目のアルバムの予定。

追記

我自由丸(ガジュマル) (Digital Diskブックシリーズ (第3弾))

我自由丸(ガジュマル) (Digital Diskブックシリーズ (第3弾))

遠藤ミチロウがVoo Doo Loungeteにて9月3日にライブ 行こうかな。
遠藤ミチロウ公式サイト
http://homepage1.nifty.com/e-michiro/contents.html

で問われているもの 

 現代思想2005、8月号、P.51に高橋哲哉氏の次のような発言がある。

高橋
閣議決定したときの記者会見(2004年12月9日)ときの記者会見では、戦争に行くんじゃない、人道復興支援活動であり、非戦闘地域に行くんだと繰り返しています。ところが、その中にこういう文句がある。
「危険を伴う困難な任務に決意を固めて赴こうとしている自衛隊員に、多くの国民が、敬意と感謝の念を持って送り出していただきたい。日本国の理念、国家としての意思が問われている。日本国民の精神が試されている」

このことが気になって、調べてた。
小泉内閣総理大臣記者会見
[イラク人道復興支援特措法に基づく対応措置に関する基本計画について]
http://www.kantei.go.jp/jp/koizumispeech/2003/12/09press.html
ここでの、高橋氏の引用部分を見てみると,正確には次のようである。

(一般の国民にはできない、日ごろの厳しい訓練に耐えて、あえて決して安全ではないかもしれない、)危険を伴う困難な任務に決意を固めて赴こうとしている自衛隊員に(対しまして)、(私は)多くの国民が、(願わくば、)敬意と感謝の念を持って送り出していただきたい(と思います)。
 (まさに今、日本がどのようなイラク復興支援に取り組むか、それは憲法の前文にあるように、)日本国の理念、国家としての意思が問われている(んだと思います)。日本国民の精神が試されているんだと思います。(危険だからといって人的な貢献をしない、金だけ出せばいいという状況にはないと思います)。

上記の()で囲まれた部分は、意図的なものかわからないが、削除されている。特に、(まさに今、日本がどのようなイラク復興支援に取り組むか、それは憲法の前文にあるように、)の部分の削除は、読み手が意味を取り違える危険がありそうだと思うが、どうだろう。

8月号の特集靖国問題では、奈倉哲三氏の「招魂  戊辰戦争から靖国を考える」が印象に残った。
これについて

彎曲していく日常
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050804
にて言及がある。

新横浜

フクロウ先生が書いた多くのものの中でも、僕には印象深く残っている作品である。それは新横浜のホテルでフクロウさんは人類の虚妄を飽食するかのようであり、その時、写真もアップされていた。その写真の有り様からなのか、いや、そうでなく、文章の中からホテルの一室で天井から吊るされたスポットに照らされるように、フクロウさんの姿が見えたような気がしたものである。
またもや、勝手な掲載ですから、削除がよければ、その旨を掲示板にお書きください。

新横浜 2001 11/18 20:59 フクロウ先生

 小舟さんの書き込みで「新横浜」という言葉を目にした。新横浜には過去に一回だけ行ったことがある。3日間滞在したが、多分この先一生行くことはないと思う。写真を一枚「盗撮」の方にアップしておいた。夫と写真を撮ったのは「新横浜」が最後だった。
 写真の日付は2000年1月27日になっていた。26日〜28日まで行っていたと思う。前年の春先から私たち夫婦は危機的状況にあり、その年の10月と12月の2ヶ月間私は拒食症の治療で入院していた。その3日間夫は新横浜に出張で、一人で行くと疑われると思ったのか私を同行させた。同行させたが私は1人でホテルに缶詰だった。
 新横浜は横浜と違って観光名所は「ラーメン博物館」くらいしかない。まあ交通の便はいいものの何もないところだ。駅に隣接したホテルに1人取り残された私は、体力的にも横浜の方まで足を伸ばす元気はなかった。精神のバランスを完全に崩した私は、その頃ひどい摂食障害に陥っており、食べ物に執着することで生きながらえていた。
 そういうわけで、私は駅に隣接するホテルの、さらにそのホテルに隣接したショッピングセンターに日に何度も通い詰めた。そしてそこの食料品売場でとんでもない量の食料品を買いあさっていた。低血糖のせいでブルブル震えながら、見るものすべてにしゃぶりつきたかった。慣れない場所への不安と耐えられない時間を潰すには食べるしかなかった。
 両手いっぱいに買い物袋をぶら下げて戻ると、私はすぐにブタもビックリするほどの勢いでガツガツ食べた。大きなビニール袋で2〜3個の食料をたいらげると、すぐにトイレに向かう。そして水をがぶ飲みして吐きまくった。自分が納得するまで何十分もトイレに立てこもり、お腹がペチャンコになるとホッとして部屋に戻った。
 しかししばらくすると私はまた耐えられなくなって買い出しに出かけた。食品売場のオヤジの「箸は何膳つけますか?」という問いに、私が「一膳でいいです」と即答するので彼は充分怪しんでいた。数時間おきにやって来る私は、きっと売場中で要注意人物になっていた。ガリガリに痩せた女が一日中食い物に釘付けになっていれば当たり前だった。
 夜になるとその食料品売り場は閉まってしまう。夫は帰ってきてもすぐにベッドでいびきをかいて寝ていたので、私は部屋の窓から外を眺めていた。そこからはいくつかのコンビニの灯りが見えた。すると私はもう耐えられない。1人寒空の下食べ物目指して出陣していくのだ。がらの悪いコンビニ定員には目もくれず、私はどこに入るか分からない量の食料を買った。
 部屋に戻ると眠そうな顔をした夫が「また買ってきたのか。」と力無く呟く。夫が私という存在そのものに疲れ切っていることはもう分かっていた。新横浜になんて来なければよかった。何か変わるかも知れないという淡い希望を抱いていたが、二人の溝が埋まることはなかった。その時撮った写真がこれだ。変な顔をしたのは絶望を悟られたくなかったからだ。
 床には私の食べ尽くした残骸が転がり、栄養失調で抜けた髪をカバーするのに伸ばした髪もばっさり切った後だった。細身のセーターもズボンもブカブカで、私はこれから一瞬胃袋に押し込めてトイレに放出する食べ物を片手に白目をむいて写っている。その光景も、私自身も「廃墟」だ。それを隠そうとおどける私はピエロよりも道化だった。
 だから「新横浜」と言っても、私の中には「喰って吐いた」記憶しかない。帰りの新幹線も無言のままだった。帰ってからも無言のままだった。その後私は夫の帰りを待てずに大量服薬し、生死の境を彷徨った。私が棺桶に片足を突っ込んでいる時も、夫は仕事を休むことはなかった。私が食べなければ保てなかったように、夫も仕事によって精神を保っていた。
 「新横浜」に行った時にはもう二人は終わっていたと思う。形だけの旅行をしてみたが、やはり手遅れだったようだ。それを確認する作業になってしまった。この時撮った写真はお互い死人みたいな顔をしていて、今見てもひどく惨めな気持ちになる。最後の旅行の、最後の写真。最後の望みの灯が消えたことを確認する二人。
 今は夫のことも思い出さないし、誰かを待つ生活もしていない。それでも私は押しつぶされそうな耐えられない時間を埋めるために、今も恐ろしく食べ続けている。生きることも死ぬことも受け入れずに、生きるためでも死ぬためでもなく食べている。胃が破裂しそうになりながらも、時には涙を流し苦しみながらも、それでも食べることをやめられない。
 絶望というブラックホールを胃袋に見立てて食べ物を詰め込んでみるが、それでも底なしなそれは満足することなくむしろ私を飲み込んでいく。「新横浜」で埋まらなかったものは、今もきっと埋まっていない。さようなら「新横浜」。まだ私は生きているが、私の中の何かは死んだまま。でもその何かは「新横浜」にはないから、もう行かないよ。

かすとろ式 (Ohta comics)

かすとろ式 (Ohta comics)

先週の土曜日に、久しぶりにF市に行く。ジュンクドウに立ちより、駕籠真太郎の本を7冊買う。考えてみると、以前に彼の「超伝脳パラタクシス」を買っていたのだけれども、駕籠真太郎と意識していたものではなかった。

その2

「どうしてバスの座席は、進行方向に対して垂直ではないのか」と少年は叫ぶ。叫ぶのだが、それは空(くう)に向かってであり、回答を期待するものはないように感じられた。
「今の日本、いや現代日本の状況は、全てが傾斜しているようです。このバスの座席がその典型です。私たちは安楽を求めて鉛直ではなく、傾きに身をまかせます。くだらないでしょう。破綻しています。やる気が失せます」と少年は続ける。

***
新横浜のホテルの一室の暗がりで、床にすわりこみ、コンビニの袋から食物をはみださせながら、F先生がパンを食べる姿がフラッシュバックする。僕は、新横浜に降りたことはなく、脳内のホテルで、フランツ・カフカの「わが民族の圏外、わが人類の圏外に立っていて、いつも餓死せんばかりである」という霊示のようなF先生は、人類のすべての虚妄を飽食するかのようである。
***

「循環バスは円運動です。トポロジー的に、円と同相です。しかし、この循環バスは、8の字に運行されています。これはどういうことでしょうか。異常な形態です。簡単に言うなら、この循環バスは1台でなく2台必要だということです。8の字の上の円と下の円のそれぞれを走る循環バスが必要なのです」
乗客の一人の女性−大柄の花のシャツを来ている太った女−が突然しゃべり出した。
「あなた、馬鹿じゃない。円だろうが8の字だろうが、バスの座席が垂直じゃないだろうが、あなたのしていることと−つまりバスジャック−何の関係があるのよ。ごたくをならべるのはやめて、さっさと、降ろしなさいよ」
少年は笑い出した。とっても愉快そうに。

***
F先生の文章から啓示されることは、それはとてつもなくリアルな個人的環境からの全体へのメッセージであり、何をなすべきであるかでなく、何もなさずとも「ある」ということとそれに付随する生の痛みようなものかもしれない。
なにもなさずとも「ある」ということは、苦行のようなものであり、同時に、文章の生成により、なにかをなすという意味があったのかもしれないが、F先生にとって、文章に意味を持たせることの否定は、現実生活の記録によってなされ、過去の再現によって否定の肯定がなされていくようであった。
実際に、F先生の文章は、その内容がどのように陰惨であっても、過去は生き生きと描かれ、現実の生活の記述はどのように楽しいものでも暗くよどんでいたように感じる。これは、よどんでいたから悪いとかの問題は超越しているのであるが。
F先生の文章が、過去と現実を波のように繰り返すのは、意味の喪失にあったように感じる。過去の生き生きとした記憶と現実の生活を平坦につなぐには、意味の喪失を必要にしたのではないだろうか。
***

少年は笑いをかみ殺しながら言った。
「都市生活者諸君。無限連関の中で、私たちの生活はなりたっています。昨日の夕食は何を食べましたか。屍肉を食べたでしょう。わたしという存在とわたしでない他の生物の死骸が、昨日の夕食の場でご対面するのです」
少年は少しだけ間を置いた。
「花柄のおばさん。失礼。レディ。あなたのふくよかな肉体を形成しているのは、他のモノなのですよね。他のモノをごった煮して身にまとい生きているんです」
少年は楽しそうにニッコリとして言った。
「みなさんをこのバスに閉じこめているのは人類に対する罰です」