テッサ・モーリス=スズキ

テッサ・モーリス=スズキ氏の指摘は続く。先日の日記に挙げたM・クレソンとB・ギンズバーグは著書「ダウンサイジング・デモクラシー」から引用している。

20世紀初頭から進行しているものとして、公共領域もあるはずの政治が「権力者たちにより私益化」される現象の進行があるが、レーガンとブッシュ(シニア)という2大統領によってそれが急激に加速化された。結果として起きたのが、無力感による市民の脱政治化現象だった。そこでは主要な政治的・社会的課題への草の根的運動は困難となる代わりに、テロとの闘いやイラク侵略といった出来事でみられる無定形な愛国心の発揚に市民たちは集合的に鼓舞される。

まさに、この現象はアメリカ固有のものでなく、日本でも見られる現象である。以前、別のサイトで指摘していた教育基本法の「改正」の問題も、まさに、無定形な愛国心の発揚の一端であり、それも、その後の日本人の「愛国心」を決定づける重要な政府の戦略である。さらに、そこには、イラク戦争における「ショウ・ザ・フラッグ」や「復興支援」や「テロに屈しない」などの言葉を駆使して、僕らは愛国心を鼓舞されている。

彼女は「アメリカは世界を民主化できるか?」ではなく「世界はアメリカを民主化できるか?」と言い放っている。これは、ブラックジョークではなく、21世紀の人類に突きつけられた大きな課題である。

アメリカは、多くの人種が混在し、それは国として確かに世界とは相似形である。(分布やその配分は違っている)しかし、それだからといって、アメリカを地球の特異な国家として特殊化することはできない。アメリカが「ある神聖な使命」をおびているのなら、そのことを自覚することそのものである。

さらに、テッサ・モーリスはジャーナリストのモリー・アイヴィンスを引用している。

これは、我々が住みたい国ではない。これは我々が作り上げたい世界ではない。(中略)我々は世界を支配する必要などない。我々は、他の国の人々と共によりよい世界をつくるために働きたいし、また、働く必要がある"(ボルティモア・サン紙から)

また、イラク占領中の1兵士であるティム・ブレンドモアは新聞に投稿している。

正義も根拠も無い死に、我々のすべては直面している。アメリカ人が覚醒するまでに、更に、どれだけの涙が流されねばならないのか。

今の状況は、アメリカの外に生活史ながら、僕らは内側にとりこまれている。そのような現象の中で日常を生活している。
次のようなニュースがあった。
「空自先遣隊がクウェート到着」
http://www2.asahi.com/special/iraqrecovery/TKY200312270187.html
TVを見ていると、ここでの先遣隊の隊員が「淡々と任務を遂行するだけです。」と語っていた。この任務がどのようにつながろうが、任務を遂行するというしめいだけでが浮かび上がってきた。

アルジャジーラTV、小泉首相の発言を放送」
http://www2.asahi.com/special/iraqrecovery/TKY200312270144.html
ここでは首相は、アメリカ軍と自衛隊の線引きを強調している。しかし、一方では、すぐさまにイラク戦争を支持した小泉首相の発言と、自衛隊が別の任務をおびている説明は折り合いがつかない。単に、テロの標的から逃れるためだけの発言として受け止められないだろうか。

テッサ・モーリスが言う「世界はアメリカを民主化できるか?」という命題に対して、日本が行うべきことから、これらの行動は大きくずれてしまっている。つまり、首相はアラブ世界に対して抗弁するのでなく、アメリカに対してイラク戦争の間違いを言わなければならない。そう、思ってしまう。