1月4日より、仕事始めで、何かと忙しく更新をサボっている。個人のWEBサイトは何のためにあるのだろうかという疑問が出てくる。2002年2月1日に次のような文章を書いている。ここに引用するのもはばかるような内容であるが、ふと、思いだしてここにあげてみる。

【ネットな関係】02/02/01
 ネットの世界は不思議である。お互いに、顔も知らない人々か、自分の考えや思いを伝え合い、言い合うのである。中には、お互いに顔や人となりを知っている人もいると思うが、大多数の場合には知らない者どうしである。ふと考えてみたが、そのようなネット上での世界では、友達関係が育ち、それが発展して友情となったり、また、恋愛感情が起き、発展するのであろうか。

 最近ネットでの出会から始まり、結婚に至った場合があると聞く。もちろんネットという空間が出会いの場の最初であり、それを発展させて、いわゆる結婚までに至ったということであろう。もちろん、ネット上での空間ではお互いに知らない間柄である。ただ、メールなどを通して写真を添付したりして顔くらいは知ることはできる。ホームページを巡ってみると、オフ会の紹介がしてあるHPがある。オフ会というのはホームページで知り合った気の合う仲間同士が実際に会うことである。

 僕は、ネット上で知り合った人とは会ったこともなく、またオフ会にも参加したことがない。ネット上での雰囲気と実際に会ってみると、かなりの差があるかもしれないし、ないのかもしれない。そのような体験をしたことがないので、詳しいことは分からないのだが、どういうものであろうか。ネット上での、空想する人物像は、実際の人物像より、プラスにはたらくように思う。それは、空想することにより、どうしてもプラスの意識が加わるからだと思う。

 立場を明らかにしておくが、、僕はオフ会を批判するものではない。いわゆる、ネットでの出会いを大切にして、お互い気の合う仲間で高めあうことは有意義であり、個に分解されがちな時代にあって、オフ会はリンクしながら連帯できる新しい可能性を秘めたものだと思うからである。

 そこで、本題に入る、ここではネット上での友情や恋愛感情が成立するのかを考えてみたい。つまり、お互いに全く会うことなく、ネット上という空間内だけで、友情を高めたり恋愛感情を深めたするということができるかということである。

 僕の経験からすると、このホームページを立ち上げたのは、昨年の7月の末である。そのころの僕は、かなり疲れていた。さかのぼること、5ヶ月あまり、僕は詩を書き始めていた。僕の詩の中身は薄っぺらなものである。しかし、そのような詩のようなものを書くことによって、何とか精神のバランスをとっていたような気がする。かなり精神的には不安定で、酒浸りの毎日であった。

 そのような状態で、僕の中には、今の状態をどうにかしなくてはいけないという気持ちがはたらいていた。これは、自己防衛本能で、このままでは自分の身体がダメになるという意識がはたらいたものかもしれない。ほぼ、毎日、ウイスキーをボトル半分から1本空けていた。体重も10kgは痩せてしまった。顔もカサカサで精気がなく、死相が出ている。ふらふらと歩き、そのまま倒れ込んでしまう風情である。

 その頃は、まわりの人から見ると、僕はかなりに精神的にも弱った状態に見えたであろう。というのは、一日を虚ろにやり過ごして、ただ時が過ぎゆくのをぼんやりながめているような状況であったからだ。

 そのような僕は自分なりには、どうにかしたいと思っていた。酒浸りの毎日で、意識を鈍化させ、酒も食べ物もまずく感じていた。酒を飲んでも口の中でただ苦さだけが残り、食べ物には味ない。

 そのようなとき、少しずつ書きためていた詩があったので、ホームページで公開しようと考えた。先にも書いたが、詩などといっても、中身は希薄である。しかし、今の自分にできることは、そのような希薄で、薄っぺらなものにかける事しかなかった。僕は、ワラをもすがるような気持ちで、そのようなものに自分のこれからを少しかけてみた。

 かけてみたなどと書いたが、それによって自分が救われるという気持ちはほとんどなかった。自分の表現としては、ただただ生きている状況の中で、自分が書いたものを、皆さんに見てもらえるということが、何かしらの幸せであった。

 最初は、ホームページを立ち上げても、反応はほとんどなかった。それは自明なことである。つまり僕という個人的なことを書いているだけで、他の多くの人たちには何ら関係のないことである。それでも通りすがりの人の中には、感想を書いてくれる人もいた。とてもありがたく思った。

 ホームページを作ると、詩作が加速化してきた。やはり人に見られるということは一つの快感である。それと同時にこのようなつつましいものではあるが、自分の詩を公表できるという喜びを少し感じていた。別にこれを他の人に無理やりに見せようというものではなく、僕もホームページに来てもらった人が、僕の詩に興味があれば見てもらえるだけのことである。そのため、プレッシャーにはならなかった。だから、自由にいろんなことがわ書けたのである。

 このような僕の虚無的な生活も少しずつ改善されてきた。一つには、詩を書いて自分の思いを表出できるということで、気持ちが少しは楽になったということである。またネットという世界で何人かの今までにない友人をつくり得たからかもしれない。これは単に、僕の方が勝手に友人と思っているだけであろうけど。

 最初の問いに戻るが、ネットという世界で友情がなりたつかということである。僕は、最初かなり懐疑的であった。しかし、まだ半年ほどしか続けていないのに、このような結論を出すのは甚だ短絡的かもしれないが、ネットという世界には特有の人間関係が存在するように思う。その一番の特徴はその匿名性である。

 匿名であるがゆえに、いろんなことが自由にいえる。これは僕にとっても好都合であった。つまり、自分の詩のようなものを垂れ流しつづけながら、色々な人と、掲示板を通じて、また、メールを通して話すことができた。その結果、振り返ってみると、あれほど地獄の底で、もがき苦しんでいたような僕の心が、かなり浄化されたのである。これだけとっても、ネットの世界の力は絶大なものである。今、このように、何気なく平和に日記が書けるのも、ネットの世界のおかげかもしれない。

 しかし、同時にその匿名性がゆえに、いろいろな問題もある。掲示板などでトラブルが起き、それが元で、ホームページを閉じる例は僕の身近でも起こった。僕は、現在掲示板を閉じている。しかし二月を機に開こうかと思っている。閉じてばかりいないで、もう一度、自分を開いてみて、どうせ、ネットに助けられた僕なのだから、そのような決断も別にいいのではないかと考え始めた。

 今日も、ネットの世界ではものすごい数のやりとりが行われている。前にも書いたように、現在の僕たちの社会は個別に分断されている。そのような個別な存在を繋ぐネットは大きな意味持っている。このような時代だからこそ、ネットの価値があると思う。

 時にはネットというものは友情をつくるであろう。たとえ、勘違いのものであったとしても、それが人を救うのであれば、意味があることだと思う。以前では考えられないような、遠く離れた友人を持つことができる。また求めれば、いつでも、どんなに離れていようとも、繋がりを持つことができる。ネットには、自分と同じような考え持っていたり、共通の感性を持つ人がいるであろう。そうであるならば、意見交換しながら、悩みの相談をしながら、友情を深めていくというのも一つの可能性だと思う。これは今までにない人間関係であり、それは、今まさに、開花しようとしているのである。

 同時に、男女の間では、恋愛感情も生まれるかもしれない。ちょっと前までは考えられないようなことであった。ある面では、個人が個人で恋愛相談所を開設するようなものである。それだけにモラルの保持やストーカーの排除が問題が重要である。顔合わせもしないで、ある時は一方的に恋愛感情を持ち、ある時は、同時に恋愛感情を抱く。そのように、このネットというものは、出会いの可能性を極度に広げたものである。
 
 問題があっても、僕はこのネットの社会がいろいろな意味で、人と人との新しいつながりの可能性を秘めているものだと思う。同時にその匿名性により、いろいろな犯罪の危険性をはらんでいることも事実である。僕はそのようなネットの世界に、今日も漂っている。時には痺れながら、時には毒を放出しながら、僕はネットの海をさまよっているのである。

すでに、僕はこの文章を書いてから2年近く「ネットの海」を漂っていることになる。この文章を読むと、ネットにつかって半年という日の浅さから、その特有の居心地のよさに酔っているような感じが読み取れる。結局、僕はこの2年間、ネットで知りあった人とは一度も会ったこともなく、それはネット上だけのつきあいである。

僕自体はそれはそれで、居心地のよいものだと思う。現実的な関係を持つ意味はあったにしても、それを積極的に追求することはそれ以上の居心地の良さにつながるものだろうか。自分勝手な判断では、自分の気持ち以外にはないように思う。ネット上で知りあって、掲示板やメールでの関係を持った人の幾人かは、すでに、少なくとも僕の知るネットの海から遠のいた人もいる。それは、それでいいのだろうし、それをとやかく言うことも僕はできはしない。現実の世界をどのように生きているのかは知らないし、ネットの僕の知らない世界で活動されているのかもしれない。

無限連鎖のような海にポツンと存在し、ネット上の少ない関係だけで生きているのも悪くない。しかし、時として、何か暗闇に取り残されてしまうような感情が生まれることも事実である。01年7月19日から始まった僕の漂いはこれからどうなるのかもわからない。ただ、ネット上での関係が少しずつ減少していることだけは確かなことだと思う。これから先、僕とネットの関係はどうなるのだろうと、ふと、考えている。