アンダーグラウンド

仕事で東京に行って、地下鉄に乗る時、地震とあの事件のことを思い出すことがあった。そういうこともあって、昨年末に村上春樹地下鉄サリン事件の被害者への丹念なインタビュー集である「アンダーグラウンド」を買っていた。村上の場合は村上春樹であって、村上春樹氏ではないのだろう。ぼんやりと二日酔いの脳は考えていた。村上春樹がこの本を書くきっかけになったことが、最初に記されているが、これが僕の興味をひいた。

村上はある女性誌の読者の投稿欄を読んだことが、「アンダーグラウンド」のきっかけと記している。村上流の言い回しによれば、これは「現実的な点火プラグ」の役割だったと表現した。彼女は、夫がサリンの被害に遭遇し、それによって不運にも後遺症が残り、ついには会社を辞めざるをえない事態に追い込まれる。

村上は、このようなことを書いている。

 手紙(投書欄)を読んでびっくりしてしまった。
 どうしてそんなことが起こるのだろう。
(中略)
 でもそのあと、何かにつけてその手紙のことを思い出した。「どうして?」という疑問は私の頭から去らなかった。それは、とても大きなクエスチョンマークだった。
 不運にもサリン事件に遭遇した純粋な「被害者」が、事件そのものによる痛みだけでは足りず、何故そのような酷い「二次災害」まで、(それは、言い換えれば、私たちのまわりのどこにでもある平常な社会が生み出す暴力だ)受けなくてはならないのか?まわりの誰にもそれを止めることはできなかったのか?
 そして、やがてこうも思うようになった。
 その気の毒なサラリーマンが受けた二重の激しい暴力を、はたの人が「ほら、こっとは異常な世界から来たものですよ」「ほら、こっちは正常な世界から来たものですよ」と理論づけて分別して見せたところで、当事者にとっては、それは何の説得力も持たないんじゃないか、と。その二種類の暴力をあっちとこっちとに分別して考えることなんて、彼にとってはたぶん不可能だろう。考えれば考えるほど、それは目に見える形こそ違え、同じ地下の根っこから生えてきている同質のものであるように思えてくる。

地下鉄サリン事件という異様な事件と、平常な社会が彼を辞職に追い込むことを「同じ地下の根っこ」から生えた同質なものととらえている。彼(純粋な「被害者」)が、地下鉄でサリンという化学物質の毒性によって入院し、後遺症を残すということと、それによって引き起こされる二次被害が、彼を辞職に追い込む。

時系列的にはそれは原因と結果のように見えるが、それを村上は「どうしてそんなことが起こるのだろう」と表現している。偶然に遭遇した、または、サリンをまいた者が偶然に彼に遭遇したのかもしれないが、それが、システムとして、道理のあるであろう平常という世界のねじを狂わせた。少なくとも、被害者の彼にとってはそのように感じるであろう不遇な状態に追い込まれる。

村上は、「どうしてそんなことが起こるのだろう」という疑問を解くために、それを論理的に考えることをあきらめている。だからこそ、「理論づけて分別して見せたところで、当事者にとっては、それは何の説得力も持たないんじゃないか」と記している。あの事件に遭遇した人々にインタビューすることで、演繹的でなく帰納的な方法論によってこの本を書いたのだと思う。

ここではインタビューが主で、この本を村上が書いたことには当たらないかもしれないが、村上は歴史の目撃者になることを意図し、同時に、この事件が引き起こした多くの平常の不条理をあぶりだしたかったのだろう。それが、「どうしてそんなことが起こるのだろう」という問いに対する答を有り体に導き出すことにつながると村上は考えた。そのためには、多くの被害者の声が必要だったのであり、727ページの及ぶ本になったのであろう。そのように思った。