劣化ウラン弾

昨日、2003年7月1日の「イラク人道復興支援並びに国際テロリズムの防止及び我が国の協力支援活動等に関する特別委員会」における藤田祐幸氏の参考人陳述を調べてみたら、ネット上にアップされているもの
http://www.jca.apc.org/DUCJ/siryo/sanko-fujita030701.html
は、正確には違うものであることがわかったので、ここに全文を引用する。少なくとも、アップした時には、その旨を書くべきだと思う。そのような配慮がなければ、他のものも書き直しがされたと思われても仕方あるまい。
藤田参考人の証言。
http://kokkai.ndl.go.jp/cgi-bin/KENSAKU/swk_dispdoc.cgi?SESSION=25448&SAVED_RID=1&PAGE=0&POS=0&TOTAL=0&SRV_ID=8&DOC_ID=9109&DPAGE=1&DTOTAL=1&DPOS=1&SORT_DIR=1&SORT_TYPE=0&MODE=1&DMY=25568

○藤田参考人 御紹介いただきました藤田でございます。
 私は、今から半世紀以上前、オットー・ハーン、シュトラウスマン、あるいはリーゼ・マイトナーといった物理学者によって発見された、純粋なる物理現象としての核分裂反応、これが二十世紀の歴史に、あるいは政治に非常に深刻な影響をもたらしたということで、核の軍事的な利用及び商業的な利用について、これを厳重に監視していくということが物理学者の一つの責務であるというふうに考えて、これまで活動し、行動し、発言をしてまいりました。
 その観点から申し上げますと、今から十年余り前、湾岸戦争と呼ばれている戦争においてアメリカ軍が初めて使ったウラン兵器、劣化ウラン弾と言われている兵器の問題について、極めて厳重なる問題がある、非常に重要な問題があるとして関心を持ち続けてきております。
 その後、バルカン戦争においてやはりこのウラン弾兵器が使われ、そして今回のイラクでも使われたということで、一九九九年と二〇〇〇年に、私は、コソボセルビア、あるいはボスニアなどの地域で劣化ウラン弾の調査及びその健康的な影響についての調査をしてまいりました。そして、本年五月十九日から六月二日にかけて、バグダッド及びバスラ周辺において、今次の戦争においていかなる形態で劣化ウラン弾が用いられたのかどうかということについての実地の調査をしてまいりました。その結果をきょう御報告し、我々が今なすべきことについての御提言をさせていただきたいと思います。
 御承知のとおり、劣化ウランという物質、これは、原子力産業あるいは核兵器産業において、ウラン濃縮過程において発生する産業廃棄物とでも申し上げましょうか、ほぼ純粋なウラン238の同位体であります。それで、このウラン238という同位体は、かつてはプルトニウムの原材料になるということで資源価値を持っておりましたけれども、今では、プルトニウム利用計画というものは各国で破綻をしております。その結果、このウラン238という物質は、単なる産業廃棄物という位置づけになってきております。
 このウランを金属として扱った場合の物理的な特性としては、比重が極めて大きい、それから非常にかたい金属である、そして、経済的な問題から申し上げますと、廃棄物であるがゆえに値段が非常に安い、こういう利点があります。
 イラクに対する最初の攻撃であった湾岸戦争当時、アメリカ軍は、A10というジェット戦闘機から対戦車砲の弾頭としてこのウラン弾を使ってまいりました。ウランという物質は非常に重くてかたいために、戦闘機から発射されて甲鉄板に当たりますと、そこで激しく発熱をいたします。ウランという金属は発火性金属でありまして、鉄の融点よりも高い温度で燃焼いたしますので、その戦車の甲鉄板はたやすく溶け、弾丸は中に入って激しく燃焼して乗組員を焼き殺す、こういう効果を持った兵器であります。
 しかし、その爆発炎上したときに、数ミクロンの大きさのウランの微粒子となりまして環境に噴出いたします。これを吸い込みますと、肺に沈着して重篤なる健康障害を引き起こす、こういうことがよく知られているわけであります。
 この砲弾は機関砲で撃ち出されます。戦車の周辺で撃ち出されますけれども、戦車に当たるのは一発か二発で、大部分のものはそのまま地面に突き刺さります。私がコソボで確認をしたケースで見ますと、地面に突き刺さったウラン弾は、地下一・五ないし二メートルという深さまで突き刺さっております。しかも、衝撃力は熱に至りませんで、金属のまま地中に埋まっている。二〇〇〇年にコソボに参りましたときに、掘り出したウラン弾を見ましたところ、そのウラン弾は半分ほどにやせ細っているということが確認できました。ウランという金属は、水と接触することによって水溶性のウランとなり、地下水へ汚染として入っていくということがそのことによっても確認できるわけであります。
 この十年前、湾岸戦争において大量に利用されましたこの劣化ウラン弾の影響が最初に報告されましたのは、アメリカ軍の帰還兵の健康状態、及び、その帰還兵の子供たちに重篤な身体障害あるいは発がん性といったようなものが次々と発生するということから、湾岸戦争症候群というふうに呼ばれ、社会問題化いたしました。そして、その弾丸を撃ち込まれた側のイラクの子供たちにも同じような影響が出始めたということで、国際的にも大きな社会問題となってきたわけであります。
 このような問題というものが明らかになっているにもかかわらず、今次の戦争において劣化ウランが大量に使われたということが、今回調査をしてきた結果、明らかになりました。
 ここにありますのが、バグダッドの計画省という建物の周辺で発見されたウラン弾であります。(パネルを示す)この上の方にあります金属の棒、これが、純粋なウラン金属、直径一センチ、長さ十センチ、重さ三百グラム程度のウラン金属です。これは十ミリほどで、撃ち出すのは三十ミリ砲ですから、アルミ合金で三十ミリのさやをつくって、その中に入れて撃ち込むわけであります。
 そして、この計画省、これはバグダッドの中心部、サダム宮殿の近くでありますが、その計画省の裏庭から、私たち取材チームがほんのわずかな時間歩き回っただけで、これだけの大量のウラン弾の破片及びウラン弾そのもの、これが発見されました。つまり、今次の戦争においては、対戦車砲としてつくられたはずのウラン弾が建物の攻撃にも使われたということになります。その前の道路などにもこれが散乱しておりました。これを子供が拾ったりすると大変危険であります。これは早急に回収する必要があります。
 それから、バグダッド南部及びバスラ南部の地域において、被弾している戦車を何台か発見いたしました。ここでは、ちょうどバターをナイフで切るように鋭く鉄を切り裂く、そして中で爆発する、こういう跡がたくさん確認されました。これなどは、まさにバターをナイフで切り裂いたがごとく、これは戦車の表面で弾がはね返った状態を示しているものであろうと思われますが、このように、戦車に当たった場合にはこの微粉末が環境に噴き出し、その周辺の地域を放射能で汚染するということになります。
 それから、その戦車の周辺の建物、これは製氷工場でありますが、この製氷工場にもたくさんの銃弾が撃ち込まれておりまして、この工場自体が汚染されている。とても工場の再開は難しいということで、私たちが行って測定をした結果、ここの工場長は頭を抱えて困り果てているという状況が起こっております。
 バスラの母子病院、これは十年前の湾岸戦争によって大量に発生した、そうした子供たちのための小児がん病棟がつくられております。そこには多くの子供たちが、例えばこの子はおなかが大変膨れ上がってしまっていて重病です。それから、この子は目にがんができていて助かる見込みがない。それから、この子は耳の下、甲状腺のところに大きながんができている。さらに、この赤ちゃんはわきの下に頭と同じぐらいの大きさの腫瘍ができている。
 こういう子供たちが湾岸戦争後急増し、当時、例えばバスラ周辺では年間に二十人ほどの小児がんの発生数であったものが、現在では、二〇〇二年の調査では百六十人、八倍にもふえている。人口当たりの統計を見ても、九〇年には十五歳以下の子供の十万人当たり三・九八人であったのが、二〇〇二年には十八・五人と、四・六倍の増加をしている。因果関係についてのさまざまな議論はございますけれども、疫学的に明らかに放射能影響というものがこのバスラ周辺の子供たちに、そしてこの影響はバグダッドでも顕著に見られているわけであります。
 そのほか、死産、流産も非常に多くなっております。そして、先天的な機能不全というものも大変多く見られるようになっております。
 長期にわたる経済封鎖のために、医療器材、薬品、人材など絶望的に不足して、治癒率が極めて低いというのが現状であります。
 ウラニウムという物質の放射能半減期は四十五億年であります。この時間は、地球の誕生以来の時間に匹敵するわけであります。一たん汚染された大地がもとに戻ることは永遠にないということが言えると思います。ウランは環境の中で循環し、今後極めて長期にわたってイラクとその周辺国の子供と母親たちを苦しめることになります。
 十年前の湾岸戦争の影響が極めて深刻な中で、さらに今次の戦争で大量のウラニウムが撃ち込まれたということは、到底許すことのできることではない。例えば、今イラクで、イラク原子力産業からイエローケーキというウラニウムが大量に持ち出されたという話があります。これが大変大きな問題になっております。
 ウラニウムという物質を環境にばらまくということは、本来あってはならないこと。これを兵器として意図的にある地域にばらまくということは、到底許されることではありません。目の前で大量に人が死ぬということはありませんが、数年後にはさらに多くの子供たちと母親が悲惨な運命を引き受けることになることは明らかであります。その悲劇は終わることがなく続くことになります。サイレント・ジェノサイドあるいはサイレント・エスニック・クレンジングというべき事態であると私は認識しております。
 その無差別性と大量性、これは大量破壊兵器の定義を満たしております。米国は既に広島と長崎に大量破壊兵器を投下し、しかも、戦後、その犯罪は問われることはありませんでした。そして、湾岸戦争においても劣化ウラン弾を大量にイラクの大地に撃ち込み、その結果についても罪を問われることはありませんでした。そして、今次の戦争においてさらに多量のウラン弾を再びイラクに撃ち込んだということは、到底許されることではない。これは、イラク大量破壊兵器を隠しているのではないかという疑い、それが理由で大量破壊兵器アメリカ軍が使ったということになります。
 イラクの人たちは、このウランの被害がいかに深刻なものであるかということをよく承知しておりまして、市民が今最も、僕たちが測定器を持って歩きますと、うちをはかってくれ、うちをはかってくれ、みんながすがるようにして安全を確かめようとすることが、何度も体験いたしました。
 今日本が、この特措法三条に言うように、イラクの国民に対して医療その他の人道上の支援を行うということを真に望むのであれば、武装した兵士をそこに送り込むのではなくて、バスラ及びバグダッドに最新の設備を備えた小児がんセンターを建設することでありましょう。
 アメリカの大量破壊兵器の投下によって、皮肉なことに、日本は放射線治療について非常に多くの経験を重ねてきております。今同じ苦しみをイラクの国民がこれから受けていこうとするときに、この核の洗礼を受けた先進国である日本が今イラクに対してなし得ることは、この我々の経験を伝えていくことであると考えております。
 この不当な戦争に加担したこの日本という国は、その贖罪の意味も込めて、イラクの子供たちのためにがん専門の最先端の医療設備を、若い医者の教育のためのプログラムをイラクに贈ること、これが最も今望まれていることであると考え、それを提言して、私の発言を終えます。
 ありがとうございました。(拍手)

これが全文である。
また、藤田参考人に対して、斉藤鉄夫委員が質問をしている。

○斉藤(鉄)委員 ありがとうございました。
 最後に、藤田参考人にお伺いいたします。
 お話を伺って、もうまさしくそのとおりだと、こういう分野、医療分野について日本も貢献しなくてはならない、このように思った次第です。
 我々、自衛隊を派遣するだけで、そのほかの貢献はいいんだと言っているわけではなくて、こういう人道的な支援をしなくてはならない、そのためにも、ああいう地域ですので、現在は自衛隊の派遣も、そういう人道的な支援をするためにも必要なんだ、こういう考えを持っておりますが、その点についての先生のお考え。
 それからもう一つ、私、広島でして、戦争前に、人文字で、ノーモアDUですか、デプリテッドウラニウム、人文字が私の家の近くでつくられましたけれども、イラクに行くので、私もちょっと勉強しようと思って、この劣化ウラン、文献をそろえようと思いましたが、ないんですね。国立国会図書館にもほとんどありません。
 そこでわかったのは、DU、決していいものだと私は言っているわけではないんですけれども、その被害について因果関係、DUと子供たちの発症との因果関係がまだ科学的に必ずしも立証されていないということが、文献が全くないということからわかったんです。この点についての研究をもう少しこれから進めていく必要があるのではないか、こういうふうに思った次第ですが、この点についても先生のお考えを伺えればと思います。

これに対する、藤田参考人の回答。

○藤田参考人 お答えいたします。
 まず第一点の問題です。
 イラクの人たちは今、先ほど何度もお話ありますように、外国人、とりわけキリスト教徒の占領下にあるという認識を持っております。しかも、二十前後の若いアメリカ軍兵士が重装備をして、絶えず銃を持って市内を満たしている。あるいは戦車が道路を満たしている。こういう状況で、非常にイラクの市民は敵意とか緊張感とか、そういうものにさいなまれているという状態があります。
 これまでも、イラクのDU問題、医療問題などで、日本のNGOの活動家は何人も現地を訪れて、さまざまな支援活動をしてまいりました。これまでは、したがって、日本とイラクのそうした人たちとの間の友好関係というものは良好なものであったというふうに感じます。しかし今回、このイラク攻撃に対して、日本政府がこれを理解し支持するという表明をしたことは、イラクの人たちはよく知っております。これから君たちと僕たちは敵になるんだという認識を持っています。
 そういう状況の中で、医療支援をしたいという我々の意図と、しかも重装備をした軍隊が目の前にあらわれる、それが銃を撃つか撃たないかじゃなくて、そこに軍隊があらわれるということになりますと、これまでの友好的な関係というものは失われてしまうのではないかということを非常に僕は心配するわけです。
 むしろ、そうした軍事的な貢献ではなくて、医療、しかも日本の最も経験の豊富な放射線医療のきちんとした施設をつくる。とりあえずは、バスラとバグダッド小児がんセンターに対して、今本当に何の薬もない、器材もない、そういう状況ですから、そこに支援物資を送りながら医療システムを育てていく。
 イラクの人たちは非常に教育程度が高い人たちが多くて、今この状態の中で能力を発揮できない方々もたくさんおられますし、また優秀な方々は、イギリスの大学や病院や研究所で研究をしていらっしゃる方がたくさんいらっしゃる。そういうイラクの人たちの知恵を集めながら、最新の設備を使って、これからふえていくであろう子供たちの悲劇に前もって対処するということが必要であって、そのためには、例えば今、イラクの人たちは仕事がなくなって困っている。建設労働者もたくさん余っているし、周辺のアラブ諸国にはいろいろな技術や資材もたくさんある。そういうものを活用しながら、イラクの人たちの力を結集する努力、そこに向けて日本が協力をしていくということに、それを行うために何のために軍隊が必要なのかということを思うわけです。
 そして、もし日本がそのようなイラクの子供たちに対して懸命な努力をしているということがイラクの人々に知られるようになれば、決してその人たちが危険にさらされることはないわけで、かえって、武装して入っていくことによって相手を挑発し、危険な状態になるということが心配されます。ですから、そうした人道的な支援をするのであれば、なおさらのこと、軍隊の派遣というものは無用なことといいましょうか、そういうことにつながっていって、決して物事をうまく動かすことにはならない、そういうふうに私は考えます。
 第二点、DU問題の因果関係の問題です。
 これは大変難しい問題です。論文が全くないということではなくて、今次々と大量の論文が発表されております。もし国会図書館になかったら、それは国会図書館の怠慢であろうというふうに思いますけれども、僕のところにも膨大な論文、資料は集まってきております。
 ただ、例えば、広島の被爆チェルノブイリの被曝というものの影響が違ったものであった。つまり、瞬間的大量被曝と低線量長時間継続的被曝、あるいは原発で働いている労働者のように低線量で断続的な継続的被曝、これの医学的な影響というものがそれぞれ違うんだということがだんだん明らかになってきております。
 そして、今度のウランの問題、これは、ウランのアルファ放射体の内部被曝と重金属であるウラニウム金属の毒性との複合的なものであろうかと思いますけれども、今のところ、これが学問的に確立した因果関係というものが認められておりません。しかし、現実にそこに子供たちがいる、疫学的な状況としては明らかに増加の傾向にあるということであれば、そこに手を打つということがまず人道的に先決問題であり、同時に因果関係の研究を進めていけばよろしいわけであります。
 広島の原爆投下の後、がんの発生数がふえているということを指摘したのは、町医者の於保先生でした。しかし、当時の学界も政府も占領軍もこれを認めようとしなかったわけです。それが立証されるには十分なる時間が必要だったわけですけれども、現実にそこにがん患者が発生しているのであれば、それを治療するということが人道的な問題であって、学問の問題とは切り離して行うべきであると私は思います。
 以上です。

正確のために、全文を引用した。