亜細亜主義

宮台真司氏のWEBサイトを見ていると、「亜細亜主義の可能性 〜国家を操縦する導きの糸〜」という論説を見つけた。
http://www.miyadai.com/
http://www.miyadai.com/index.php?itemid=45
冒頭はかなり挑発的だが次のように始まる。

■世の中にはベネディクト・アンダーソンを誤読して「国民化の歴史を振り返り、国民幻 想を相対化せよ」などと語る輩がいる。「ボーダーレスな時代だから国民国家にこだわっていては駄目だ」と言う。時代錯誤だ。
■私たちは領域的にも力の大きさ的にも国民国家=ネーションステイトを超える主体を持 たない。私たちが世界を変えようと思ったら、ネーションステイトをハンドリングするしかない。

これが朝日新聞に掲載された論説ということで、宮台自身が、「私は朝日新聞に、憲法改正についての論説と、亜細亜主義についての論説を載せました。両方ともデスクが突っ返してくることを期待したんですが、これまた何の抵抗もなくスルーしたんで、『ありゃ、ありゃ』という感じです。」と述べている。(◆ 亜細亜主義北一輝〜21世紀の亜細亜主義
http://www.miyadai.com/index.php?itemid=67

宮台からすれば、僕は「ボーダーレスな時代だから国民国家にこだわっていては駄目だ」というような輩なのかもしれないと苦笑した。この書き出しは、多分に挑発的だが、この挑発にどれだけの輩がのってきたのだろうか。この論説に対するコメントは無いので、それほど反応がなかったのだろう。「◆ 亜細亜主義北一輝〜21世紀の亜細亜主義」のコメントはにぎやかなので、「亜細亜主義」だけでは反応が鈍いが、これに「魂」の問題が付加されると、がぜん活発になることに興味を覚えた。

■「文化を下敷きにした軍事経済ブロック」と言えば、皮肉にもアジアならぬ欧州がEEC、EC、EUへと進化させた。そこには軍事的安全保障のみならず、食料安全保障、エネルギー安全保障、IT安全保障、文化的安全保障の視点が内在する。
■アジアはそうした繋がりをまだ持たない。ポイントは欧州が突出した盟主を作らないよう努力した点。大東亜共栄圏は、列強搾取から東亜を守るとの大義にかかわらず、飽くまで日本が盟主。域内の、強者/弱者、搾取/被搾取の関係は自明だ。

という部分には共感する。グローバリゼーションの波の中で、アジアの諸国はその伝統的な自立経済圏を支えるインフラが収奪されている。その部分での日本の果たした負の遺産は大きい。これをプラスに向けてベクトルを変えることは容易ではないが、宮台の言う「亜細亜主義」はそのヒントになる。

ただ、グローバリゼーションでの国民国家の有り様の解釈には疑問が残る。解体される国家を望むわけでなく、否応なくグロバリゼーションは国家を変容させるのではないか。その抵抗としての宮台の「自立した国民として思考停止に陷らず、ステイト(機構としての国家)を ハンドリングせよ」というメッセージは響くものである。しかし、このハンドリングはどのように行われるのか。「自立した国民」とは誰なのか。そのような許容されたイメージが大きすぎて、具体的な実像が見えてこない。