3・20/11:33を迎えるということ

イラク戦争の開始の号砲は、世界に何を与えたのか。1年後のその日のその時間を僕やその他の人々がどのように迎えるのか。
女とイチャツキながらベッドで迎えるのか。家族ドライブで夫婦げんかをしているのか。金融機関に強盗にはいっているのか。
(セックス抜きの生活さ・・・)
1年間で何を得て、何を失ったのか。魂の総量はどのように変化したのか。ぶくぶく肥ったヤツは誰だ。
(僕らの心理的自由は・・・)
僕らが迎えるその日のことを考えよう。
僕はむざむざとイラクの人々が死ぬのを見てきた。
それはブラウン管を通して、写真を通して。
tzetzeさんの日記より。
http://d.hatena.ne.jp/tzetze/20040318

イラクの人々の命がけの抵抗を、「テロも戦争もゴメンだ!」などと言って、安易に否定することはできない。それは、パレスチナにおける人々の抵抗についても言えることだ。

tzetzeさんの日記を読んで目覚めたわけではない。
目を背けていたことを理解しようとしなかった。いや、我慢していた部分もある。アメリカの人々が死ぬこととイラクの人々が死ぬことの本質的違いを論じることもなかった。
アメリカ兵士がイラク人々を殺すことは超法規的措置である。
  *朝日新聞3月18日付8面「占領軍を裁く法なし」
イラク人が正当に占領軍を訴える術もないのだ。イラクの人々がアメリカの人々を殺すことはテロだとされ抹消される。

遠い西の国での戦争に僕らは1年をかけないで加担している。
イラクの人々を殺していないからなどというのは、いいわけである。加担しているのである。それが妄想であるなら覚めてみたいが、どうも僕には妄想とは思えない。
笑いながら自衛隊員がイラクの子どもたちと肩を組み、装甲車でサッカー場に試合見物をすることを、安楽に人道支援の成果などとは考えることもできない。安易にプロパガンダと批判しても虚しい。それでも、1年がやってきて、日本人が銃をかまえてイラクの大地にいることを認めざるをえない。その銃から発射される弾丸は日本の将来を撃つだろう。