死刑文化からの抜け道を求めて 現代思想3月号

森達也氏と鵜飼哲氏の対談している。ここでオウムのことに触れている。
森氏の発言

つまり麻原と側近たちの言葉遊びのようなイメージだったはずが、いきなり現実になってしまった。事の推移への想像力が麻痺していた。僕らはよく、高笑いをする悪役というイメージを持つけれど、そんな光景は漫画の世界です。だからこそ彼は、その後事の重大さとプレッシャーで壊れちゃったのではないのかな。共同体の普遍性、宗教のエアポケット、そして日本人の特質などがこの背後には働いています。例えば、日本の戦争は誰が起こしたのか?実はこれすらもいまだに明確ではありません。ドイツにはヒトラーがいたし、イタリアにはムッソリーニがいた。でも日本にはそんな求心力は存在していなかった。東条の台頭はもっと後だし、天皇も違いますよね。つまり日本は、国民の総意でファシズムに突き進んだ。すべてが終わってから、なんであんなことをしてしまったのだろうと顔を見合わせている。そんな国なんですね。もしかしたらオウムの事件も、同様の構造の中で繰り返されたという気がするんです。

ここでは、オウムの地下鉄サリン事件と太平洋戦争を比較している。この比較自体かなりムリがあるように思うが、「日本は、国民の総意でファシズムに突き進んだ」という指摘は、日本というものが主体なき戦争、戦争が他動的にオートメーション化された形で進んだことを指摘しているのかもしれない。この解明が東京裁判では行われなかった。それは、天皇と軍部が切り離されたことによって−もちろん、それはアメリカの戦後政策において天皇を利用しようとしたことによって−政策的に行われたことである。これによって、日本は国際紛争を解決する手段としての戦争を憲法によって封じられた。それは、天皇の戦争責任を裁判によって明らかにすることはしないかわりに、連合国が押し付けてきたことである。
しかし、このことによって日本が今後、同じ過ちを犯す可能性を広げてしまった。なぜなら、宮台真司氏が「愛国心は文化」だと、いみじくも吐露していたが、憲法は文化になりえるのか、なりえないとすれば疲弊し、それは腐れ落ちる。と、すれば、憲法を変える動きがはなやかで、政党の何周年記念行事のごときで変えることもはばからないものである。
つまり、天皇の責任論とか、軍部の暴走とか、罠にはまったとかいう戦争責任のなすりあいは、実に、「日本は、国民の総意でファシズムに突き進んだ」ということの検証がなされていなかを如実に示すことである。まったくもって、アメリカが軍部と天皇を切り離したがために、永遠の不可解として歴史に葬られた。これによって、日本が再度、同じ過ちを繰り返す種も保存されてしまった。
さらに、これに対して鵜飼氏は次のように述べている。

僕もオウムの事件が起さた直後には、日本のある種のメンタリティーの突出した現れとして、異質どころではなく日本社会の鏡と考える方が、より正解に近い道だろうと思いました。事件直後、麻原氏が公判で責任を間われて、「そういう文学的な方面のことは分かりません」と昭和天皇と同じように言ったらどうなるかと、よく言われていたものですが、むしろそれよりも重い沈黙を彼が守っているのか、それともより深刻に心が壊れてしまい、底に沈んでしまったのかすら、いまはもはやわからない。死刑裁判は常に極限的な事例だと思うんですが、ここにおそらく普通的にある問題は、犯された罪が誰かの意志、分割されていない意志に最終的に遡って因果関係を再構成できる、それを通して責任というものを構成でさることを想定するあらゆる考え方がリミットにきてしまっているということです。これは普追的な不可能性ですから、ヨーロッパは死刑廃止がうまくいくけど日本ではうまくいかないということはないと思うんですね。死刑を維持することがどこかで無理だと分かってきたからこそ、ヨーロッパは死刑廃止に向かった。人間の意志というものが分割されていることを、ヨーロッパは歴更的に経験してきた。

昭和天皇の「そういう文学的な方面のことは分かりません」という言葉は、「愛国心は文化」とすれば、的外れでもない。麻原の場合の沈黙は、オウムに教義はあっても文化がなかったことなのかもしれない。