テロルの時代と哲学の使命

すでに何度か指摘されている重要なことであるが、「テロルの時代と哲学の使命」びおいてデリダは、ボッラドリの「ハイデッガー的な意味での出来事ですか?」という問に対して、途中に次のようなことを述べている。(p.138)

新しく「重大な」ものと、見えるのは、使用された武器(民間人でいっぱいのビルを破壊するための飛行機)でもありません。その類の例は、第二次世界大戦での数々の爆撃や広島、長崎を振り返るまでもなく、残念ながら枚挙に暇がありません。少なくとも、そうした侵犯は、量的な物差しでであれ他の物差しでであれ、その射程において「9月11日」に劣りはしなかった、ということだけは言えます。そしてアメリカ合衆国がつねに被害者の側に立っていたわけではありません。
したがって、私たちは他の説明を、意味のある質的な説明を探さなくてはなりません。まず最初に、アメリカ含衆国の同盟者であろうとなかろうと、また政権が交代してもアメリカの政策において多かれ少なかれつねに維持され存在し続けてきたものに賛成しようとしまいと、冷戦の終焉と呼ばれるもの以来「世界」の地平を規定している次のような明自な事実については誰も異議を唱えないだろうと思います(そしてこのことを、いわゆる冷戦の終焉を、いくつかの異なった観点から解釈しなくてはならないでしょうし、後でそうするつもりです。けれどもさしあたり、「9月11日」もまた、多くの点で、いまだに冷戦そのものから生じた時間差のある結果なのだ、ということを指摘するにとどめさせてください。すでに冷戦の「終焉」以前に遠因はあるのであって、すなわちアメリカ含衆国がアフガニスタンにとどまらず、ソビエト運邦の敵たち−彼らが今やアメリカ含衆国の敵となっているのですが−を訓練し、彼らに武器を与えた時代に遠因があるのです)。その明自な事実とは、「冷戦の終焉」以来、世界秩序と呼びうるものは、その相対的で一時的な安定において、アメリカの力の堅固さとそれへの信頼に、すなわち信用に大いに依存しているということです。

9・11」という記号で示されることは、「『冷戦の終焉』以来、世界秩序と呼びうるものは、その相対的で一時的な安定において、アメリカの力の堅固さとそれへの信頼に、すなわち信用に大いに依存しているということです」ということであり、アメリカという意識への崩壊と懐疑の思いを僕らにひきおこしたことに根源があるということ明らかにしたことである。
冷静構造の崩壊は20世紀の出来事であり、それは時間差攻撃のように21世紀を攻撃している事実を受け止める必要があるだろう。デリダが指摘した「アメリカ含衆国がアフガニスタンにとどまらず、ソビエト運邦の敵たち−彼らが今やアメリカ含衆国の敵となっているのですが−を訓練し、彼らに武器を与えた時代に遠因があるのです」ということをぬきにして、現代のイラク戦争を語ることは不毛である。東西の冷戦構造から、アメリカの一極支配に移行した時に、アフガンゲリラやその他多くのゲリラに対して、アメリカは冷淡であり、アメリカの支配下につくことを求め、自らがまいた癌細胞のように増殖し勝手な振る舞いをする彼らを駆逐しようとした。
それらは、冷戦の遺物であり、負の遺産である。そのような時に「9・11」が起き、それはアメリカの正義に理由を与え、アメリカの行動は他のどの機関も止めることが出来ないものになった。これは、単に「アメリカの力の堅固さ」の崩壊などというレベルのものでなく、僕たちをとりまく、あらゆるシステム、法、言説への恐怖にほかならない。