相対的道徳

[メモ]相対的道徳
現代思想7月号の「スコーレムとスコーレム的懐疑論者」の冒頭近くに次のような一文があった。

たとえば、道徳的相対主義とは次のような見解を言う。道徳に関する絶対的な基準など存在せず、そして(それゆえ?)道徳的判断は、当の判断を下す人たちが属している(諸)文化での道徳に関するローカルな基準に、部分的であれ条件づけられた内容を持ったものとなる

 これを読み、ふと考えたが、国連主導であれ米国主導であれ、イラクの統治支配のための民主的自治政府の確立に関連して、その利権の再分配の数と誰が指揮して行うのかの違いほどではないかと。

 ローカルな相対的道徳の規律は、その最大公約数を国連が模索するものであると思うが、実際上は、一部の理事国が牛耳っている。アメリカ追随を批判することは有益であるが、それをもって、国連主導というのにも、僕は抵抗がある。

 つまり、イラクフセイン独裁という絶対的な道徳観に相対的な道徳観(善かろうが悪かろうが)のアメリカが戦略的に利権的に対峙し、侵攻したのだろう。