ある人の日記

[思考的メモ]ある人の日記
10日ほど前に、ある人の日記を読んだのだが、その内容は省略するが、ただ一つ、身辺の所持品をかなり処分して、部屋の掃除をしているのでなく、周りから見れば、人生を片付けているように見えるというようなことが書いてあった。
僕としては、この部分がひっかかりながら、ぼんやりと考えるでもなく、いや、かえって、考えることを避けていたのかもしれない。
なんとなく、アントニオ・ネグりとマイケル・ハートの<帝国>をパラパラと読んでいたら、章の扉に次のようなカフカからの引用があった。

この男は実際どう仕様もなく、わが民族の圏外、わが人類の圏外に立っていて、いつも餓死せんばかりである。ただ瞬間、すなわち苦労の瞬間の絶えざる連続だけが彼のものだ。……彼はいつもただ一つのものしか持っていない。すなわち自分のいろいろな苦痛だけだ。そして彼は周りのどこにも、それらの苦痛の薬になりそうなものを持っていない。彼は自分の二本の足を置くのに必要なだけの地面しか、また自分の二つの手で蔽えるだけの手掛りしか持っていない。だから下の方で救助綱を張ってもらっている見世物のぶらんこ乗りの曲芸師よりも、所持品が乏しいわけだ。
        フランツ・カフカ

この引用を読んで、日記の書き手の生き方に触れたように思った。「わが人類の圏外に立っていて」、「苦労の瞬間の絶えざる連続だけが彼のものだ」という表現に、日記の書き手の生き様に共通する記号を感じ、さらに、「二本の足を置くのに必要なだけの地面しか、また自分の二つの手で蔽えるだけの手掛りしか持っていない」という表現の中に、僕は「人生を片付けている」ように見れることへの近似を感じた。