靖国神社へのA級戦犯の合祀について

2004年10月7日の共同通信のニュースから
A級戦犯合祀が問題 靖国参拝王毅大使 (共同通信)

民主党岡田克也代表は7日、中国の王毅駐日大使と党本部で会談した。
 王氏は、小泉純一郎首相の靖国神社参拝問題に関連して「A級戦犯の問題が、靖国参拝ということよりも大きな本質的な問題だ」と述べ、A級戦犯の合祀(ごうし)が問題との認識を示した。
 これに対し岡田氏は「そういう中国側の基本的な認識に対する日本側の理解も深まってきたのではないか」と述べた。

これからわかることは、中国が今、懸念していることはA級戦犯靖国神社への合祀ということである。
JANJANの「ご意見板」においても、靖国神社の問題が論議されているので、A級戦犯合祀の合祀について調べてみた。
まず、戦犯にはA級、B級、C級というものがあり、それはどのようにして区別されているかである。
国際軍事裁判所憲章第6条c項「人道に対する罪」に関する覚書
清水 正義
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife/6729/essay1/essay1-1.htm

ジャーナリズムの世界でも学問の世界でも、普通にA級戦犯といった場合は「重大戦争犯罪人」という意味でこの言葉を使ってきたと思う。しかし、A級戦犯の「A」というのは、もともと語源的には「トップクラス」とか「重大」とかいうところにはない。
 そもそもA級戦犯容疑者とは、1945年8 月8 日に英米仏ソ四ヵ国がロンドンで調印した国際軍事裁判所憲章第6条a項「平和に対する罪」に違反した容疑で連合国から戦犯指名を受け、逮捕された百名余りの戦犯容疑者を指す。この場合、いわゆるBC級戦犯とは、同条b項「通例の戦争犯罪」、c項「人道に対する罪」に違反した戦争犯罪人となる。すなわち、A級、B級、C級はこのa項、b項、c項に由来するのである2)。「一級」とか「重大」とかいう意味では本来ない。

清水によれば、A級とは国際軍事裁判所憲章第6条のa項「平和に対する罪」、B級とはb項「通例の戦争犯罪」、c項「人道に対する罪」ということである。
さらに、
実際に「国際軍事裁判所規約」を見てみる。
http://pegasus.phys.saga-u.ac.jp/peace/nurchartr.html

第六条
この規約の第一条で言及するヨーロッパ枢軸諾国の主要戦争犯罪者の裁判及び処罰のための協定により設立された裁判所は、ヨーロッパ枢軸諸国のために、一個人として、又は組織の一員として、次の各犯罪のいずれかを犯した者を裁判し、かつ、処罰する権限を有する。

次に掲げる各行為又はそのいずれかは、本裁判所の管轄に属する犯罪とし、これについては個人的責任が成立する。

(a)平和に対する罪。 すなわち、侵略戦争もしくは国際条約、協定もしくは誓約に違反する戦争の計画、準備、開始もしくは遂行、叉はこれらの各行為のいずれかの達成を目的とする共通の計画もしくは共同謀議への参加

(b)戦争犯罪。 すなわち、戦争の法規叉は慣例の違反。この違反は、占領地所属もしくは占領地内の民間人の殺害、虐待、もしくは奴隷労働もしくはその他の目的のための追放、俘虜もしくは海上における人民の殺害もしくは虐待、人質の殺害、公私の財産の掠奪、都市町村の恣意的な破壊又は軍事的必要により正当化されない荒廃化を包含する。ただし、これらに限定されない。

(c)人道に対する罪。 すなわち、戦前もしくは戦時中にすぺての民間人に対して行なわれた殺人、殲滅、奴隷化、追放及びその他の非人道的行為、叉は犯行地の国内法の違反であると否とを問わず、本裁判所の管轄に属する犯罪の遂行として、もしくはこれに関連して行なわれた政治的、人種的もしくは宗教的理由に基づく迫害行為。

上記犯罪のいずれかを犯そうとする共通の計画又は共同謀議の立案又は実行に参加した指導者、組織者、教唆者及び共犯者は、何人によって行なわれたかを問わず、その計画の遂行上行なわれたすべての行為につき責任を有する。

具体的な極東国際軍事裁判所憲章ではその第5条に次のようにある。
ウィキペディア (Wikipedia)の「A級戦犯」からの引用
http://ja.wikipedia.org/wiki/A%E7%B4%9A%E6%88%A6%E7%8A%AF

第5条(イ)「平和ニ対スル罪 即チ、宣戦ヲ布告セル又ハ布告セザル侵略戦争、若ハ国際法、条約、協定又ハ誓約ニ違反セル戦争ノ計画、準備、開始、又ハ遂行、若ハ右諸行為ノ何レカヲ達成スル為メノ共通ノ計画又ハ共同謀議ヘノ参加。」

(イ)は英語訳では(a)ということである。(A級の由来)
靖国神社に祭られたA級戦犯は「(a)平和に対する罪。すなわち、侵略戦争もしくは国際条約、協定もしくは誓約に違反する戦争の計画、準備、開始もしくは遂行、叉はこれらの各行為のいずれかの達成を目的とする共通の計画もしくは共同謀議への参加」を問われて、極東軍事裁判で裁かれたのである。
靖国神社の問題を概括的に見るなら、ウィキペディア (Wikipedia)の次が参考になる。
靖国神社
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%96%E5%9B%BD%E7%A5%9E%E7%A4%BE
「首相、大臣の靖国神社参拝問題」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%96%E7%9B%B8%E3%80%81%E5%A4%A7%E8%87%A3%E3%81%AE%E9%9D%96%E5%9B%BD%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E5%8F%82%E6%8B%9D%E5%95%8F%E9%A1%8C
特に
A級戦犯の合祀」については

戦後、戦没者靖国神社に合祀されたが、そのリストは靖国神社ではなく行政府が作成した。昭和31年、厚生省引揚援護局と都道府県により、リストアップが始められた。東京裁判におけるA・B・C級戦犯は、日本の国内法の犯罪者ではないため、恩給や選挙権、被選挙権の剥奪もなかった。戦没者の選定はこの基準に準じたため、A・B・C級戦犯も除外されなかった。靖国神社では、A級戦犯の受刑者を昭和殉難者と呼んでいるが、作成されたリストに基づき他の戦没者と分け隔てなく合祀した。

そこで、A級戦犯の合祀について、その経過を調べてみる。
1978年10月17日靖国神社東条英機元首相らA級戦犯14人を「昭和殉難者」とて合祀している。
1993年靖国神社刊「靖国神社をより良くしるために」より 松平永芳宮司宮司 職を去るに際しての講演録から、その経過を見てみる。
さらに中曽根首相の参拝問題の裏話もある。
http://www2.big.or.jp/~yabuki/doc01-8/yasukuni.htm

・・合祀問題 たまたまどうしても宮司にということで、お受けせざるを得なくなったんですが、主として私をくどき落されたのが石田和外先生、もとの最高裁長官です。私はお受けするということを最終的に決心する前に、いわゆる東京裁判を否定しなければ日本の精神復興はできないと思うから、いわゆるA級戦犯者の方々も祀るべきだという意見を申し上げた。それに対して石田先生は、これは国際法その他から考えて祀ってしかるべきものだと思うと明言されました。それで私は宮司に就任してから、合祀の書類や総代会議事録等を調べました。 私の来る数年前に総代さんのほうから、最終的にA級は一体どうするんだという質問があって、いま議会が国家護持問題なんかでごたごたしてるからしばらく待ったほうがいい、それで時期は宮司に一任してくれ、という返事をして総代会も了承された。それが私の就任する6、7年前のことで、以来合祀時期は宮司預けとなっていたのです。 この経緯は議事録に遺っています。そして国家護持法案が昭和四十九年に一旦流れましたから、そこでしばらくして前宮司が合祀してくださっていれば問題なかったんです。 しかし私が来た時には、まだ合祀されていなかった。(1978年筆者挿入)7月に就任しまして、10月には合祀祭を迎えるのですが、それまでに名簿をつくったりいろいろな手順があるが、間に合うかと係のものに聞いたら、いまなら間に合いますという。 そこで間に合うなら合祀しようと決断しました。もし私がこれを4年保留しておいてから合祀した場合、その間、宮司はどういうつもりで握っていたんだ、といわれても回答ができない。 したがって、就任した早々であるが、前宮司から預ったこの課題は解決しなければならないということで、思い切って合祀申し上げたわけであります。 その根拠は明白です。すでに講和条約が発効した翌二十八年の議会で、援護法が一部改正され、いわゆる戦犯者も全部一般戦没者と全く同じようにお取扱いいたしますから、すぐ手続しなさい、ということを厚生省が遺族のところへ通知しているんです。いわゆる戦犯、役所では「法務死亡者」といいますが、その遺族達は終戦後、一切の糧道を絶たれていたんです。財産も凍結されていたんです。家を売ってなんとかしようとしても家の売りようがなかった。実は私の家内の父親(醍醐中将)が戦犯で銃殺になって死んでおります。家内の弟がまだ学生でしたから、私が実家の母親の面倒も見ていたのです。それで、役所からくる書類などにも目を通し、こと戦犯に関しては普通の方よりもよく知っていたわけです。そこで私は、いつまでも「戦犯」とか「法務死亡」なんていうことを言うべきでないから、さっき申上げた「幕末殉難者」とか「維新殉難者」という従来から当社の記録に使っていた言葉にあわせて、「昭和殉難者」ということにし、靖国神社の記録では戦犯とか法務死亡という言葉を一切使わないで、昭和殉難者とすべしという通達をだしたのです。

要約すると、最高裁長官(石田和外)の「国際法その他から考えて祀ってしかるべきものだと思うと明言」と総代会議事録等を調べてみると数年前に(1970年頃か?)「A級は一体どうするんだ」という質問が出ていた。この「どうするんだ」は前後の文意からは「いつ祀るのだ」という意味にとれる。このような情況で合祀に至ったということである。その根拠は「講和条約が発効した翌二十八年の議会で、援護法が一部改正され、いわゆる戦犯者も全部一般戦没者と全く同じようにお取扱いいたしますから、すぐ手続しなさい、ということを厚生省が遺族のところへ通知しているんです」ということである。そのような経過から、1978年(昭和53年)10月17日の合祀祭でA級戦犯を14柱を新規合祀している。
この靖国神社A級戦犯の合祀については、翌年1979 年4月19日にマスコミに取り上げられる。その当時の国会でのやりとりを見てみる。
[012/012] 87 - 衆 - 内閣委員会 - 8号 昭和54年04月19日
当時の大平首相の答弁

○柴田(睦)委員 大平総理は、靖国神社の春季例大祭に参列されるという御意向を明らかにされましたが、靖国神社にはA級戦犯も含めて戦争犯罪人が合祀されておることが明らかになりました。この事実を知っておられるかどうか。また靖国神社の参拝は、ことし一月の伊勢神宮参拝も含めて、憲法政教分離の原則に反するもので、決して個人の宗教に対する態度の問題ではないと考えるわけです。中止すべきであると思いますが、いかに考えていらっしゃるのか。二点についてお伺いします。
○大平内閣総理大臣 A級戦犯が合祀されていたということはけさほど知りました。
 私は、先ほどお答え申し上げましたように私人として行動するわけでございまして、いささかも憲法上問題になるようなことではないと承知いたしております。

[011/012] 87 - 衆 - 内閣委員会 - 9号
昭和54年04月20日

○山花委員 結局、はっきりした説明はいただけないわけであります。前回、皇統譜令、同じく政令に関連してお尋ねしたときもそうだったのですが、この種その先のことは一切明らかにしないで元号法案だけを急いでいる。このことを天皇の国事行為、私的行為との関連でも痛感いたします。天皇の行為については後でもう一点伺いたいと思いますけれども、その前段に総務長官にお伺いしたいと思います。
 きのうも大平総理に対する質問で一部出ましたけれども、この十九日に東条英機元首相らA級戦犯靖国神社昭和殉難者として合祀されていることが明らかになりました。きのうの夕刊の各紙はこの問題を大変大きく取り上げています。それは同時に、国民の関心がそれだけ強いということのあらわれでもあると思います。新聞の中には各関係者の意見が出ておりますけれども、たとえば靖国問題についてこれまで取り組んでこられた木村知己先生などは、
 「宗教家としてはたとえ戦犯の人であっても死者を丁重に葬ることは当然なことだと思う」としながらも、「靖国神社に合祀する、ということは、普通の宗教的な供養や追悼とは全く性格が違う。戦争で死んだ人を“神”にし、多くの国民におがませることになる。とくにこれまで残されてきたA級戦犯の人を靖国神社にまつるというのは、戦争責任を解消することにつながり、歴史の逆転という動きで重大な意味がある」
と意見を述べておられます。多くの国民が感じている問題点を指摘していると思います。
 また、靖国神社には戦没者遺族からも抗議の趣旨での電話がたくさんかかってきている、こういう内容も指摘されているわけでありますけれども、昨日、大平総理は、こうした状況のもとにおきましても来る二十一日、春季例大祭の参拝はやめない、こうお答えになりました。
 まず、総務長官に伺いたいのですけれども、この東条英機元総理らが合祀されているという事実は、従来から知っておられたでしょうか。それを知ったのは一体いつだったでしょうか。それを知った中で、今日これだけ関心を集めているこの時期に総理が靖国に参拝するということにつき何らかの配慮をしようとすることは、相談されなかったのでしょうか。
 以上の点について、総務長官に伺いたいと思います。
○三原国務大臣 お答えをいたします。
 靖国神社に合祀されるそうした手続、あるいはそうした資格と申しますか、そういうものについては、私はつまびらかにいたしておりませんし、このことは靖国神社の氏子の方々の中でそういうことを審査されるのではなかろうかと私は想像いたしておるわけでございまして、そうした合祀される資格というようなものについて、よく承知をいたしておりません。
 なお、東条さんが合祀されておるということは、きょう初めて私も承知をいたしたところでございます。きのうでございますか、そういうお話を承って、承知をいたしておるところでございます。
 次には、大平総理が今回の祭典にお参りになることについて君はとめないのか、何か作為を起こさないのかということでございますが、全く大平総理個人の信条と申しますか、そういうものに基づきますことでございますし、特に総理がそういう行動に出られることをとめようというような行為を私がいたす考えは現在のところございません。

政府としては、A級戦犯の合祀は靖国神社の問題であるという答弁である。
当時は、元号法が国会の論議に焦点の一つで、靖国神社への合祀問題とからめた国会論戦がうかがえる。

また、靖国神社へ合祀されたA級戦犯14名は「絞首刑七名(東條英機(首相、陸相、大将)、板垣征四郎陸相、支・総参謀長、大将)、土肥原賢二(航空総監、大将)、松井石根(中支軍司令官、大将)、木村兵太郎(次官、ビルマ軍司令官)、武藤章(軍務局長、中将)、広田弘毅(首相、外相))、未決中獄死二名(松岡、永野)、服役中獄死五名(白鳥、東郷、小磯、平沼、梅津)」である。

靖国神社 ホームページ
http://www.yasukuni.or.jp/index.html

首相官邸のホームページより
靖国神社参拝に関する所感(小泉首相
http://www.kantei.go.jp/jp/koizumispeech/2002/04/21shokan.html

靖国神社の「A級戦犯分祀案」に対するコメント
http://www.eireinikotaerukai.net/E05Iken/E050040.html