JANJANにおける「プロ記者」の疑惑

JANJANにおいて、差出人不明のメールをもとにして書かれた記事について追跡する内に色々なことが明らかになったように感じている。

「囚われのファルージャ
http://www.janjan.jp/world/0411/041110579/1.php
記者:山村雅康

この記事のソースであるメールの差出人が不明であり、その宛先が不明である。さらに、これが緊急メールとしてMLされる経過も不明である。このような不明なメールを元に書かれた記事に意味があるのだろうか。この記事が意味ある記事であるためには、メールの出所を明らかにし、その経過を書き、このメールの内容を検証することである。
僕がこのメールに興味を持ち調べてみると、差出人は、イフサン・アリ・スレイマンさんらしい。
http://d.hatena.ne.jp/junhigh/20041116

さて、昨日書いたことについて、少し補足したい。
http://d.hatena.ne.jp/junhigh/20041118
ここで取り上げた記者の土屋祐子さんであるが、学会で発表をするほどであるから、かなりのジャーナリズムの専門家なのだろうか。
土屋祐子さんの記事はその数だけでなく、市民記者にはできないようなインタビュー記事もこなしている。
身体性の回復へ 学生発NGO『Body And Soul』の試み
http://www.janjan.jp/living/0409/0409279258/1.php

さて、JANJANの看板は「『JANJAN』は市民が記者になってニュースを送るNPO型インターネット新聞です」ということである。記者の主体は市民であるが、JANJANの記事を調べると、「市民記者」の中に「プロ記者」が混在しているように感じている。

僕のいう「プロ記者」であるが、次の様に定義してみたい。

ある特定団体(JANJANをふくむ)や運動体のキャンペーンを行う。また、それらの団体などが主催する集会などを情宣するなど、特定団体の利益誘導をはかる市民記者に紛れ込んだ記者。

このように感じたのは、JANJANにおいて、これなどは記事になるとは思えないようなことが記事として掲載されている事実にある。いくつかの例を挙げてみる。
まずは、

土屋祐子記者
九条の会」アピール(全文)
http://www.janjan.jp/living/0407/0407166940/2.php
九条の会」アピール賛同者(7月15日に発表されたもの)
http://www.janjan.jp/living/0407/0407166940/3.php
これなどは記事でなく、資料であるし、リンクすれば済むことである。

高橋建吉記者
イラクで拘束された高遠菜穂子さん・今井紀明さんが22日、東京で報告会
http://www.janjan.jp/world/0407/0407156880/1.php
高橋建吉さんは
記者情報をたどると
http://www.body-and-soul.org/wiki.cgi?page=%C3%C4%C2%CE%BE%F0%CA%F3

組織名   Body And Soul (ボディ・アンド・ソウル
代表者   高 橋 建 吉

とあるように、高橋さんは「Body And Soul」の代表である。
この「イラク市民と語る 私たちにできること」については
http://www.tokyo.catholic.jp/text/shakaifukuin/report/iraqsimin.htm
呼びかけ人の欄を見ると

2004年7月22日 なかのZERO
主催■ 「イラク市民と語る」実行委員会
呼びかけ人■ ・・・ 高橋建吉(BodyAndSoul) ・・・

この記事を書いた高橋建吉さんはこの集会の呼びかけ人である。つまり、自分たちで行う集会をJANJANの場で記事として宣伝している。この場合は、高橋さんがこの会の呼びかけ人であることを表明しておくべきではないだろうか、第三者の市民記者の客観的なレポートではないだろう。

この「イラク市民と語る」集会の宣伝記事を受けて、土屋祐子記者が
「私たちにできること」 イラクで拘束された高遠菜穂子さんが語る
http://www.janjan.jp/world/0407/0407247244/1.php
として、レポート記事を掲載している。
さらに、
身体性の回復へ 学生発NGO『Body And Soul』の試み
http://www.janjan.jp/living/0409/0409279258/1.php
として、土屋記者が高橋建吉さん(BodyAndSoul)を記事で宣伝している。
ここらあたりは、見事な連係プレー(記事)である。

土屋記者については、ネットで調べてみると「土屋祐子(NPO型インターネット新聞JanJan編集記者)」という肩書きがある。そもそも、JANJANに編集記者なる者が存在するのであろうか。記者と編集記者では、その立場は違うのではないだろうか。編集記者であるならば、JANJANのいう市民記者というより、JANJANの直属の記者というイメージである。

僕は、土屋記者について言及しているが、本来の目的は、JANJANというインターネット型の新聞のあり方である。「『JANJAN』は市民が記者になってニュースを送るNPO型インターネット新聞です」という看板をたてながら、その中では、市民記者の中にJANJANの編集部の認知の元に、特定の記者が、JANJANの編集部の方針を元にして記事を書いているのではないかという疑いである。さらに、ある特定団体や運動体の宣伝記事のようなものがスルーしてしまうような実態があるのではなかろうか。

JANJANの記者の中に編集記者の様な形があれば、それは、きちんと記者情報として読者に知らせるべきである。また、一部のプロ記者の記事には、編集部としてきちんと対応し、JANJANが特定の団体や運動体の宣伝の場にならないようにすべきである。少なくとも、記者がどの立場で書いたかがわかるような表記を求めるべきである。そうでなければ、新聞や雑誌の中に記事を装った広告があるが、それと変わらないのではないか。

編集委員長名で、「ご意見板」には、削除などの強硬な姿勢を表明しながら、実際の記事へのチェックや記者のメディアリテラシー問題にはフタをしてしまう姿勢では、市民記者によるJANJANの発展は望めない。

かえって、編集部と一部その関係記者が、JANJAN全体の編集方針にのっとる記事を投稿し、それをJANJANシンパ(編集部つながりをふくめて)が「ご意見板」で褒め称えるだけの新聞になる。これは、記者に責任を負わせるのでなく、編集部の基本的な問題である。今回のJANJANの「ご意見板」意見削除問題は、そのような本質的なJANJANがかかえる問題解決を回避して、安易に、その場を逃れようとした編集部の浅知恵としか思えない。

「ご意見板」について
http://www.janjan.jp/editor/0411/041112624/1.php

このような編集部の削除の姿勢は、JANJANの本質が暴れるの防ぐための便法かもしれない。なぜなら、僕はそのようなJANJAN編集部の本質を問題だと考えているが、編集部としてはそれが目的なのかもしれないからだ。そうでなければ、僕が書いてきた編集部の問題について是正し、記者の表記についても改善し、記事の内容について公正な立場で臨んでもらいたい。