岡崎玲子

昨日、紹介した岡崎玲子さんのサイト「キャンパスEXPRESS」のリストには2000年9月11日の出来事に対する学生の反応がよく書かれている。http://shinsho.shueisha.co.jp/campus/011019/index.htmlあのテロによる衝撃をどのように受け止めるのか。さらに、私たちに出来ることは何なのか。一部のアメリカ人が車から星条旗をつきだし「報復だ!」と叫ぶ姿とは違う、この事件をどのようにして受けとめるべきかを思索する姿が浮かぶ。この学校(アメリカの寄宿制私立高等学校)では、後日、この事件をとらえるための講演会が開かれている。この部分を引用してみる。

後日、今回の事件を様々な視点から考え直し、落ち着きを取り戻すために、全校生徒が参加の講演会が開かれました。本校の人文科教師がパネリストとして、それぞれ違うトピックについて話すというものです。まずは、中東と中央アジアの情勢を理解してから、本来は平和的な思想であるイスラム教の説明に移りました。「無差別テロ犯をはじめとする過激派は、イスラム教徒の中のほんの一部だけだ。今回の事件の怒りの鉾先を一般のイスラム教徒に向けることは、白人優位主義者の行動をすべてのキリスト教徒のせいにするようなこと」本校ではイスラム教徒やアラブ系の生徒が事件後も安心して学校生活を送っていますが、地元の公立学校や全米の様々な事件について知るたびに、もっと多くの人に、この強烈な比喩を聞いて、考えてほしいと思いました。

感情的になりやすい出来事を冷静にとらえ、それを世界の問題としてとらえ直そうとする姿が描かれている。その頃、日本ではアフガニスタンへの米軍の軍事進攻を、「アメリカとの同盟」と「テロへの報復」という機軸だけで、判断していたようである。少なくとも、国会での論戦では、彼女の学校での講演会ほどの深みもなかったように記憶する。そうして、佐世保から駆逐艦がインド洋に出港する。米軍の後方支援のために。

僕は、その時、佐世保にいて、そこでは若い海上自衛隊の隊員を見かけた、実は、その日に書いたものがある。

タンポポ
 公園のタンポポは踏みつけられながらも
 生きていた
 公園の両方に設置された携帯スピーカーから
 不当な政治情勢の報告
 腰痛の僕は立つこともままならず
 ベンチに腰を降ろす
 足下をぼんやりながめ
 タンポポを発見
 デジカメで撮る

 戦後はすでに50年が過ぎ
 時は何を重ねてきたのだろうか
 テロ撲滅のための艦船が昨日出港した
 この街は
 思いのほか静かで
 あどけさの残る海上自衛隊員が談笑する

 踏みつけられても
 生きるタンポポ
 公園の片隅で
 腰痛がなければ
 気づかない
 タンポポ


僕は腰痛のため公園の片隅のベンチに座り、出航反対のシュプレヒコールを聞きながら、地面をながめてた。すると、踏みつぶされても、花を咲かせているタンポポを見つけた。そのタンポポに妙な親近感を覚えた。

岡崎さんは、その日のコラムを次のようにしめくくっている。

 「20世紀、アメリカは戦争に関わっても、自分たちには直接危害がないと心のどこかで感じてきた。アメリカ本土が攻撃されて初めて、戦争を自分たちに直接関係あるものとしてとらえる」というコメントにはうなずく人が多く、また、最後の言葉の余韻は解散後も消えませんでした。「もちろんアメリカは非常に打撃を受けた。しかし私たちは、経済を立て直す手段が個人消費だと言われて、外食と旅行を勧められているレベル。その反面、アフガニスタンでは150万人とも言われる難民が、想像を絶する厳しい生活を強いられる。このアンバランスを無視しろというのか」

 私の心に今でも残っているのは 、最後に捧げられた黙とう。犠牲者の冥福を祈り、そして付け足された「各国の指導者たちの正しい判断を信じて」という一言……この思いが確実に届くことを願うばかりです。

「各国の指導者の正しい判断」という言葉がずしりと響く。とりもなおさず、それは日本にも当てはまる。しかし、残念ながら「9・11」が、日本では正当に論議されないままに、今のイラク派兵までの状態に行き着いているように感じる。「パール・ハーバー以来の本土攻撃」というアメリカでの受け止められ方は、時として、「2個の原爆を日本に落としたアメリカ」という記憶を持つ日本人よりも鮮明な怨念なのかもしれないと思った。
しかし、時は先へと進む。もう、自衛隊イラクの土を軍靴で踏むのは間近なのだ。