岡崎玲子

年末の特番だったと思うが、例の米国兵のリンチさんの救出劇の真相を再現していた。なんとなく、ぼんやりと見ていた、その後、ある評論家(顔は覚えているが、名前を知らない)が次のような発言をした。
「戦争では、あのようなプロパガンダはよくあることだ」
これには、ぼんやり眺めていた僕の脳でも違和感を感じた。
この発言は、言い換えれば、「戦争は国家がその目的のために個人を利用する」ということではないかと考える。

あの報道は、リンチさんがイラク兵に屈辱を受け、それに、捕虜としても充分な措置がなされていないというものだったと思う。まさにリンチさんをして、イラクに対する憎悪をかきたて、そのようなイタイケなリンチさん救出するアメリカ軍は正義の軍という印象を与えるものであった。これによって、兵士の敵対心を鼓舞し士気を高めるねらいだったろう。

そのような国家の有り様は戦争の状態では当然なことだと言い放つ。日本でも戦争の真実は覆い隠され、様々なプロパガンダが横行した。その結果、第2次世界大戦で国籍を問わず多くの市民と兵士が死亡した。戦争ではプロパガンダが横行するという認識は持っておく必要がある。しかし、同時にそのプロパガンダによって国家が個人を利用して、英雄がつくりあげられ、それが虚妄であることによって個人が引き裂かれる。そのようなデマゴーグによって扇動された人々が死への旅路におもむく。

評論家が、どれほど国家と個人の問題を洞察したのかは知らないが、今まで、どれほどの悲劇をつくりだしたかわからないプロパガンダ政策について、もっと配慮ある発言が欲しかった。

岡崎玲子さんのサイトのリスト039に、アメリカの行動の源泉である「明白な使命」についての一節がある。

 軍事力が法を覆す世界を望むのなら、米国はナンバーワンの座を譲らずに済むのかもしれません。しかし、同時にテロ行動を罰する正当性さえも、手放すことになるでしょう。合衆国の短い歴史の中で一つ伝統があるとすれば、明白な使命(manifestdestiny)です。神から特別な任務を託されたという信念に基づいてマサチューセッツから大陸を西へ西へ進み、しまいにはハワイ、一時期はフィリピンまで勢力を拡大したアメリカ。“文明の恩恵”を広げるという概念の下、現在でもイデオロジーで影響されていない地域は少ないですし、その軍隊は世界中に駐留しています。
(中略)
 特に、演説の都度「神の恩恵」を持ち出すブッシュ大統領については、2003年度一般教書演説の生中継を寮のコモンルームのテレビで見た際に「こんなコメント、フランスでは許されない」とパリに住んでいたエリザベスがつぶやいていました。同じ多民族国家でも、国民の半数以上が信仰心の重要性を説き、原理主義的とも呼べるプロテスタント教によって大統領が単独行動を裏付ける米国とは、事情が異なると言います。“先進国”というだけで団結することはアメリカが主張するほどたやすくないのではと私は危惧していたのですが、その矢先に、戦争の使い方を巡って米仏間に亀裂が走ったのです。

この部分を読んでみて、実は、アメリカとフランスの対立の構図の一つが読み取れたように感じた。もちろん、石油資源をめぐる利権と国益があるとは思うが、それだけでは説明がしにくいイラク侵攻に対する平和運動の盛り上がりの一端を感じた。同時にアメリカがなぜユニラテラリズムに陥りやすいのかという説明かもしれない。

平和運動の盛り上がりは、国益だけでは困難なように思ってきた。それは、それぞれの国民のもつ宗教的・文化的背景が大きな原動力になるのだろう。
イラク侵攻構図はアメリカとアラブの対立、アメリカとEUの対立、経済的利権、南北問題、宗教問題、それを横断するように現実的なアメリカとの同盟関係などが複雑にねじれている。

今、イラク問題や北朝鮮問題にしても、その根幹は東西の冷戦構造によってつくられた。その意味で、冷戦構造なき世界ではそれは無用な問題であるごとく扱われる。たとえ、それがソビエトアメリカの都合で支援されたフセインであろうが、アルカイダであろうが、今は用が無いから使い捨てのゴミのように捨てたいのである。

矛盾が生むものは奇っ怪な国家や組織であるが、それを育てたのも2つの超大国のエゴなのだと思う。

中山文麿氏の「サダム・フセインとはどんな男だろうか」http://www.imc-itochu.co.jp/imc_web/n_cnr/10_10.html#6.というものの中に次のような一節がある。

1988年、イラクはイランの南部の要衝アフワズに毒ガスミサイルを打ち込んだ。同年、国内でも、北部の反政府運動クルド人化学兵器で攻撃し、約5000人を殺害したといわれている。また、最近、AP通信によって明らかになったところによると、米国は80年代にバグダッド大学などの研究施設に炭疽菌ボツリヌス菌などをアメリカの商務省の輸出承認を得て10回前後送付していた。その上、現在、アメリカの各地で流行している西ナイル熱ウイルスも、85年にイラク南部のバスラ大学の微生物学者に送ったようである。このようなことは、かって、アフガン戦争で、カーター政権下のケーシーCIA長官がパキスタンのISI(軍統合情報部)経由、資金援助と軍事訓練などを行ってビンラディンというアメリカにとっての悪魔を育てたように、このイラン・イラク戦争を通じて、フセインというもう一人の悪魔を育てていたのである。そして、アメリカが生物兵器の材料を種々イラクに提供してきたからこそ、アメリカは自信を持って、フセイン生物兵器化学兵器大量破壊兵器の研究と製造を行っていると執拗に追求している所以でもある。

テロの種をまいたのは誰なのか。それに栄養を与えたのは誰なのか。このような指摘を抜きにして、アメリカとの同盟関係と「テロとの闘い」「テロに屈しない」という大義イラク戦争に突き進むならば、本末転倒と揶揄されかねない。いや、すでにイラクの広大な大地に眠る石油利権という国益に目がくらんで見えないのかもしれない。僕はそのように思ってしまう。