グロバリゼーションとアメリカ

エストファリア条約に規定されるような国家体制からすでに360年あまりが経過して、その間に、世界は様々な変化−産業革命共産主義、世界大戦、冷戦構造、科学技術の革新−をしながらも、少なくともウエストファリア体制と呼ばれる国民国家の基本は維持してきたように思える。それは、そこまでの変化の中で、地球上にいくつかの極がありえたからであろう。冷戦構造という大きな時代の流れで、双極的な構造に集約されながらも、それでも、世界は二つの極を持ちえた。

しかし、ソビエトの崩壊とともに冷戦構造が解消され、さらには、ITの技術革新とあいまって、アメリカを極とするグローバリズムが世界を吹き荒れることになる。東側と西側という双極構造のときには、アメリカは西側の代表として、そこには、アメリカ中心主義を抑えざるをえない状況もつくりだしていた。しかし、まさに冷戦の終結は、アメリ覇権主義の序章を演じることになった。

ユニラテラリズムによるアメリカの世界支配の構図は着実に進み、経済においても軍事力においても覇権国アメリカとしての地位を確立している。関下はこのことを次のように指摘している。

クリントン政権による,そうした転換の一大戦略となったのが経済安全保障の提唱である。その内容はユニラテラルかつ自国中心的な経済利害の追求,リージョナリズム,管理貿易思想,デレギュレーションとプライバタイゼーションの推進などに代表されるが,これらの経済的成功が,世界
の人々からは逆に政治的リーダーシップの放棄と政治的不安定性の増大とも映ることにもなった。アメリカによる経済安全保障の追求が「近隣窮乏化」につながるとしたら,21 世紀の世界の安定は危ういことになる。

アメリカは覇権国であるためには、強大な軍事力を維持し、同時に財政面でも優位に立つ必要がある。かつては共産主義との対決という意味において軍事力強化の名目が立ったが、今日では、それは「テロとの戦い」−ならず者国家悪の枢軸−に置き換えられてさらに強大化している。しかし、さすがにアメリカのみにおいて、アフガン侵攻からイラク戦争におよぶ侵略を支えることは不可能である。

これを可能にするものが、国連を軸とした多国籍軍でなく、アメリカ同盟軍の役割である。米英を中心として、アメリカ同盟軍の拡充に熱心である。日本のイラク戦争におけるスタンスの方向性も、基本的にはアメリカ同盟軍に自衛隊を組み込むことができるようにするための視点ですすめられている。このためには、北朝鮮の脅威論が必要であり、あたかも米国と北朝鮮はこの部分において同盟国のように振る舞うのである。

覇権国アメリカを維持し、それを拡張するために、どのような考えを持ち、行っているかは関下が次のように指摘している。

 覇権国アメリカの力の根源である,強大な軍事力の維持と強化を,膨大な財政赤字と冷戦対抗の終焉という条件の下で,どのように達成するかという問題が浮上してきた。これに関しては,従来のように,軍事技術開発から始め,それを民生用に転換させるスピンオフの道ではなく,民生用技術や軍民両用技術(デュアルユース・テクノロジー)を軍事転換するスピンオンの道が新たに追求されるようになった。それを一般的には軍民転換路線と呼び,ポスト冷戦時代の「平和の配当」を期待して,大々的な軍事産業の縮小が起こることを期待する雰囲気もあった。
 この期待は冷戦に代わる新たな敵(=「ならず者国家」)の出現によって覆されることになったが,軍民転換を軍事生産と軍事調達における市場原理の追求と短絡的に考えることには無理がある。軍事には軍事的必要の優位という前提があり,それは,アメリカの世界戦略というグランドデザインによって規定されている。したがって,軍民転換の真意は,軍事に民生と同様の競争原理と効率性を持ち込むと同時に,民生の中に常に軍事転用可能なものを用意させ,いつでも利用可能な状態にさせておくことで,その含意しているものからいえば,ガンスラーのいうように11),「軍民統合」という方が正確であろう。このようにして,アメリカは少ないコストで高い品質と,そして強力な軍事力を構築し,さらに地域的不安性への迅速かつ柔軟な対処可能なものを作り上げようとしてきた。

これまでのことを考えると、覇権国であり続けるためにアメリカは否応無しにグローバリズムを進展させなければならない。これに楽観的な一部にはアメリカ賛美論もある。その行き着く先はアメリカの世界連邦化である。これには、現代の情勢から見ると現実的な側面もあるが、あくまでも、それは一部の現実論にすぎないように思う。なぜならば、考えただけでも、大統領を選ぶ権利をどの範囲にするのか、連邦化したときに南北問題の不均衡−グローバリズムによってさらに広がる所得格差・財政格差−をどのように説明できるのか。結局は、現在の国家という枠組みを維持しながら、国家的自己責任論で乗り切った方がアメリカにとって簡単なように思える。

アメリカ自体がグロバリゼーションによって国家が溶解しつつある。このためには、より強固なidentityが必要である。それは「世界の正義」という内的要因によるたかまりであり、「テロとの戦い」という外的要因によるたかまりである。グロバリゼーションの進化に応じてidentityを強固にしなければ、アメリカはそれ自体が解体してしまう。