劣化ウラン弾

森住卓氏のWEBサイトを見て思うことを書いてみよう。
http://www.morizumi-pj.com/
昨年、彼の講演は聴く機会があった。聴くといっても多くは彼がイラクで撮影した写真と彼の解説であった。なぜだか、全面的にのみこめない違和感は、その後も続いていた。

今日、森住氏のサイトを覗いて、再度、その違和感を確認しながら、その一部分がわかったような気がした。その部分を書いてみる。
第一に、彼のサイトには劣化ウラン弾が、子どもらの白血病や奇形の原因であることの説明がほとんどない。つまり、劣化ウラン弾放射線によって、ガンや各種の障害が発生したことが前提として語られ、写真の説明がある。

僕は劣化ウランによる体内被ばくが皆無だとは思っていない。酸化ウランが吸引されそれによって肺胞にウラン酸化物がとどまり、それによってガンが誘引される可能性があるだろうと思う。また、劣化ウランの化学毒性により様々な障害が起こるであろうことも推測される。

ただ、このことがはっきりと臨床的に証明されたことではないように考える。彼が撮影する白血病などのガンにおかされた子どもらの写真は悲痛であり、大人たちの行った戦争による惨禍の一部であることには考えさせられる。それを告発する彼の姿勢には僕は脱帽する。しかし、僕には違和感を取り除くことができない。

その一つは、引用したいのだが、彼のサイトのには「このサイトの写真・文章の著作権は、森住卓に属します。無断で二次利用を禁じます。」という言葉がある。僕は断りを入れてまで二次利用しようとは思わないから引用もできない。引用が二次利用ではないと思いたいが、それも差し控えよう。

彼は写真家であり、写真が生活の糧であり、著作権を大切にされ、さらに保護される立場にあることは十分に理解している。しかし、彼の写真が「イラクの現状」を広く世界に伝えるものであり、劣化ウランの残虐性を広く知らせるものであれば、一部は著作権の部分放棄しても、劣化ウランの恐怖を知らしめる目的であれば、自由につかわせてもいいのではなかろうか。もちろん、写真の変形や作為的な使い方は論外である。

彼は講演で「イラクの病院でイラク人が水頭症の子どもの写真を撮れと言った。彼は、この子どもは写真に撮られることで、このような悲惨な状況が世界に知れる。この子は間もなく死んでも、それだけでもこの子がこの世に生まれてきた価値がある」のようなことを述べていたと記憶する。

第二は、BS23ワールドニュース出演辞退の説明の部分である。
http://www.morizumi-pj.com/kako/nhkjitai/nhkjitai.html
彼は「イラクの最も差し迫った問題は劣化ウラン弾被害の真相究明と被害者の救済なのです。」と述べている。
このレトリックに矛盾を感じる。なぜなら、「差し迫った問題は劣化ウラン弾被害の真相究明」と述べていることは、真相究明ができていないことをさすと考えられる。真相究明ができていないにもかかわらず「被害者の救済」と書いている。では、写真によって告発された人々は何による被害者であろうか。真相は究明されていないが、何がしかの被害者がいて、その被害者は早急に救済されなければならないということである。

彼は次のように語っている。
「ジャーナリズムの役割は科学的に立証されないから伝えられないと言うのではなく、 そこに苦しんでいる人々がいて、その原因が劣化ウラン弾の疑いが濃厚の時、 その原因の究明のためにも、現場で起こっている事実を積極的に伝える事が使命ではないでしょうか。」

科学的に立証されていないのに、どうして、「その原因が劣化ウラン弾の疑いが濃厚」と言えるのであろうか。まさに、濃厚であることが科学的に立証されなくてはならない。つまり、彼の場合は、劣化ウラン弾が原因であるという前提ということである。

僕は、彼の「劣化ウラン弾が原因である」という確信の説明が欲しいのである。その説明がなされないままに、最初に前提ありきでは、どうにも腑に落ちない。

ジャーナリズムが「そこに苦しんでいる人々がいて、現場で起こっている事実を積極的に伝える事が使命ではないでしょうか。」という部部には共感する。しかし、「その原因の究明」が、科学的に立証されていないが、自分が濃厚だと思うことの前提の説明のためにつかわれるとき、事実がねじ曲げられる危険性を感じる。これこそがジャーナリズムの精神をけがすことではないだろうか。

彼が世界をまたにかけるジャーナリストであることは認めるからこそ、ここに苦言を書いてみた。