エリック・シュローサー

3月14日付朝日新聞の11面に興味ある記事があった。ジャーナリストのエリック・シュローサー氏と編集員のインタビュー記事であった。

マリファナに手を出すのは中南米系の移民、有色人種、貧困層、ヒッピーに多い。こうした階層を敵視する現政権は、大企業に寛大に臨む。この偏りが地下経済への対応にも表れている。

ブッシュ政権の体質を批難している。また、アメリカの象徴であるマクドナルドをふくめたファーストフードにも問題点を指摘する。

事業拡大の過程で問題が生まれた。全米で千店ならいいが、世界で何万店となるといけない。至る所にマックの看板がはんらんし地域の個性がうせた。並行して農業の産業化が進む。ハンバーグに必要な均質の素材を均等に供給するためだ。牛海綿状脳症BSE)や鳥インフルエンザもそこに起因している。

ここで、興味をひいたのは「均質の素材を均等に供給」というものだ。ファーストフードは均質な素材で、どこでも一定の品質を保障するものだが、それが生物生産の画一化とゆがみをもたらしたという指摘だろう。つまり、現在の食の危機であるBSE鳥インフルエンザもその根本原因には、大量の画一的・均質な生物の生産体制にあるということである。
また、エリック・シュローサーはアメリカの精神面の指摘をしている。

この国の思想風土は建国以来、二面性を内包してきた。一方はピューリタリズムの傾向だ。禁欲的蓄財を尊び、富は徳の表れと考える。他方ジェファーソン(3代大統領)に代表されるリベラルな思考で、王権や教会の権威にも屈しない。この二つの力の均衡の上に米国は動いてきた。
この25年ほどピューリタリズムが勢いを増した。金もうけが正しいという風潮が強まる。そのため農業だけでなく、文化までが産業化、つまり利潤追求の道具に成り下がっている。ハリウッド映画がそのいい例だ。

アメリカの思想の根底にあるピューリタリズムの復権はいちじるしいようだ。さらに、ブッシュ政権もその中の動きの中でつくられたと指摘している。

そう。アシュクロフト司法長官は庁内にある半裸の女神像の胸を布で隠させた。勤労を妨げるものとして性や麻薬を嫌悪するピューリタンの倫理観を、素直に表している。利潤のためなら独占も否定しない。クリントン政権マイクロソフト社にも反独占の姿勢で臨んだが、現政権下では逆に独占が進んでいる。
(中略)
その体質は企業社会主義とも表現できる。ネオコン新保守主義)はそのイデオロギー的理屈付けにほかならない。

エリック・シュローサーは、ファーストフード業界に米国の精神の最良なものを見つけながら、同時にその不安を指摘する。さらにイラク戦争での勤勉主義的利潤追求は、戦争の民営化をおしすすめていることを指摘している。

批判の視点はおのずとイラク戦争に向けられる。中東民主化大義を揚げながら、内実は石油の利権確保ではないか。
たとえばチェイニー副大統領が経営していたハリーバートン社。イラク復興の陰で米政府の擁護のもと、どれだけの利益をむさぼったか

ファーストフードに代表されるアメリカの精神が、食の問題をひきおこし、さらにイラク戦争で顕著に「戦争の民営化」がすすみ、そこに利潤を見いだす。
しかし、ここまでながら、多くの識者が指摘する部分であるが、僕が一番気になったのは次の記述である。

自力だけを頼みに、荒涼たる大地に挑んだ建国以来の精神。
(中略)
大地に足を着けた農本主義と、寡占化する企業社会モラルと。伝統的風土に根ざす二つの価値観がせめぎあう。産業化が急激に進む20世紀初頭の米社会の底流を、歴史家ホーフスタッターはこう観察した。

実は農本主義という言葉にはっとしたのである。なぜかといえば、しばらく前に日記に書いた北一輝のことが思い浮かんだからである。北を「農本ファシスト」と称したのは吉本隆明であったか。現代を読むときに、この農本主義という考えは、古くて新しい概念かもしれない。そのようなことを考えた。