辺境から眺める アイヌが経験する近代 テッサ・モーリス=鈴木

テッサ・モーリス=鈴木氏については、朝日新聞のコラムで知って気になっていた。やっと「辺境から眺める」を手に入れることができた。
http://d.hatena.ne.jp/junhigh/20031225
この本のp.22に次のような記述があった。

植民地時代の探検家たち−ラ・ペルーズ、クルゼンシュテルン、ゴロヴニーン、間宮林蔵−がおこなった旅は、帝都の中心から出発し、外に向かい、「奥地」にまでいたるものだった。彼らは、植民地支配をおこなう社会の物理的な武器ばかりではなく、知的な武器をも携えて、一つひとつ道を切り拓き、商人、入植者、伝染病がその後を追った。旅から待ち帰ったのは大量の原材料であった。鉱物のサンプル、民族詰学的「骨董晶」、地図、未知の人びとの話、これらはやがて植民地支配権力がもつ拡張する知識体系のうちに編入されていった。

かつては探検家が辺境を切り開き、そのことが、迎えるべき帝国主義的植民地支配の道具になったのである、しかし、今や、世界はその恥部さえもあらわにさせている。宇宙衛星により細かく調べられ、ITにより、ネット上でリアルタイムに交信できる。それでは、辺境はなくなったのだろうか。著者は、探検家たちが帝都から歩んだ道と逆の道を遡ることで見えることがあるといいたげである。つまり、植民地支配が歩んだ道が階層的国家構造の確立であるならば、こちらは、辺境からの脱構造なのだろうか。