小泉被告に対する福岡高裁の公人としての判断

福岡高裁の判決文では、小泉首相の参拝の違憲性について、次のように述べています。

以上の諸事情を考慮し,社会通念に従って客観的に判断すると,本件参拝は,宗教とかかわり合いをもつものであり,その行為が一般人から宗教的意義をもつものと捉えられ,憲法上の問題のあり得ることを承知しつつされたものであって,その効果は,神道の教義を広める宗教施設である靖国神社を援助,助長,促進するものというべきであるから,憲法20条3項によって禁止されている宗教的活動に当たると認めるのが相当である。
したがって,本件参拝は憲法20条3項に反するものというべきである。 <<

つまり小泉首相靖国神社参拝は、「宗教的活動」であり、政教分離を規定する憲法第20条3項に違反するものということです。
日本国憲法 第20条

第20条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

福岡高裁は次のように判決文での小泉被告の公人性について、次のように述べています。

被告小泉は,原告らの被告小泉に対する本件訴えは,被告小泉が一人の自然人として信教の自由を実現するために行った本件参拝を違憲,違法と断じた上で損害賠償を求めたものであり,訴訟の名を借りて,被告小泉の有する信教の自由を制限しようとするものであるから,訴権の濫用として不適法である旨主張する。
しかしながら,原告らの被告小泉に対する本件訴えは,被告小泉が内閣総理大臣の職務として本件参拝を行ったことにより精神的損害を被った旨主張して損害賠償を請求するものであって,被告小泉が一人の自然人として私人の立場で本件参拝を行った旨主張して損害賠償を請求するものではない。また,本件全証拠によっても,原告らにおいて被告小泉の有する信教の自由を制限しようとする目的で,被告小泉に対する本件訴えを提起したことを認めることはできない。

「被告小泉が一人の自然人として私人の立場で本件参拝を行った旨主張して損害賠償を請求するものではない」ということで、公人の場合にのみ限定されているようです。
この裁判の要点は、小泉首相の参拝が「宗教的活動」であるかどうかということで、つまり、政教分離を規定する憲法に違反するかどうかだと思います。ということで、「政教分離」の視点は重要だと思います。