「九条の会」への不満

1条での国民主権と象徴天皇についての関係と9条の平和主義は、憲法成立過程では、重要なファクターであったと思います。

マッカーサー昭和天皇の関係もいろいろと推測されていますが、マッカーサー天皇制に固執する日本側に対して危機感を持っていたとも言われています。危機感とはこのままでは昭和天皇極東軍事裁判の被告になるという危機感です。被告になれば、まずは極刑はまぬがれないでしょう。
そうなれば、マッカーサーの日本統治戦略の根底がゆるがされることになります。

どこまでマッカーサー昭和天皇を信用したかはわかりませんが、少なくとも、日本統治のためには欠かせぬ存在であるということは考えていたと思います。しかし、それでは、連合国側を説得できない情況の中で戦争の放棄(第9条)が生まれたのだと考えます。見事なまでに「第1章天皇」と9条(正確には「第2章戦争の放棄」)が一続きのセットになっています。天皇を象徴という形で残し日本側の不満を和らげ、同時に、戦争の放棄で連合国側を納得させるswan_slabさんのご紹介のマッカーサーノートの原案は、マッカーサーの緻密プラン(計算)でしょう。
象徴天皇制だけでは十分に理解を得られないので、戦争の放棄を明言し、物理的な軍隊を持たせず、さらに、政教分離により国家神道を封じ込め、人間宣言をさせることで、天皇を軍事裁判の被告とせず、天皇を利用した日本統治を行う)

そこで、「九条の会」の呼びかけ人は、そのような憲法成立過程を十分に知った上で、「九条の会アピール」には、第1章にふれることなく、次のように述べています。
http://www.9-jo.jp/appeal.html

侵略戦争をしつづけることで、この戦争に多大な責任を負った日本は、戦争放棄と戦力を持たないことを規定した九条を含む憲法を制定し、こうした世界の市民の意思を実現しようと決心しました。

表現は難しいにしても、このような9条の平和理念化(平和主義という看板)にしてしまうことは、いっそうの9条の目的の空洞化をすすめる結果になるのでは懸念しています。あれだけの学者・哲学者・文学者がいるのに・・・。