新保守の都市型リベラルのとりこみ

9/11は、4年前の連続テロをそこのけとばかりに選挙で日本を染めた。
宮台真司が次のようなことを書いている。
民主党がとるべき道とは何か(インタビュー)
http://www.miyadai.com/index.php?itemid=283

■総選挙の見取り図となるキーワードがあります。「旧保守=農村型保守」「新保守=都市型保守」「都市型リベラル」です。
小泉政権の性質を見ると、小泉氏には、バラマキ政治に終止符を打つ正義感がありつつ、清和会的な金融族利権と、旧経世会への憎悪があります。正義感と利権と個人的感情の、重ね焼きなのです。
■加えて外的事情として、今日的ポピュリズムと、米国の意思が重なる。まず石原慎太郎人気や9・11以降の米国世論動向と同種のポピュリズムがあります。国民の不安を煽り、鎮められるのは俺だけだと男気を示す、という伝統的戦略です。

宮台らしい分析で、小泉首相の立場を明確にしている。宮台いわく小泉氏は「正義感、金融利権、経世会憎悪、ポピュリズム、米国好きの5要素」ということである。これは、けっこう的を射ている分析だと思う。局面局面で、これらの要素のどの部分が大きな判断材料かを考えれば、小泉氏の行動予測は、単純化するだろう。

宮台の「旧保守=農村型保守」「新保守=都市型保守」「都市型リベラル」というキーワードの提示は、今回の民主党の大敗も説明がつく。小泉氏の戦略が「新保守=都市型保守」が「都市型リベラル」をとりこむことに成功したことである。問題は、このとりこみに継続性があるかどうかということになる。

もう一つ、気になった選挙分析があった。
今回の選挙は女性の選挙だったなぁ
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2005/09/post_d445.html

そうした点で気になるのは、経済的な勝ち組に吸収されたかにみえた優秀な女性が政治の側に回ってきたかもしれないし、そうした兆候を社会の女性が支えつつあるのかもしれない、ということだ、…そう見ることは一部から強い忌避感を受けるのだろうけど。
 選挙後の情報や総括などを見ていて、どれも女性の政治参加という視点では、あまり納得したものがなかった。基本となるのは今回の選挙での女性票の動向だが、それほど資料が見あたらない。NHK「あすを読む」での話では、男性の自民・民主の差が四十二パーセント対三十六パーセントと六ポイント差だったのに対して、女性では四十三対二十八と十五ポイントも差があった。それだけでも、今回の衆院選では女性票の流れは大きな意味をもったはずだ。

「経済的な勝ち組に吸収されたかにみえた優秀な女性が政治の側に回ってきたかもしれない」というとらえ方が新鮮に見える。このことは、小泉氏の戦略を「刺客候補」という一側面でしかとらえきれなかったマスコミのエラーであることを示している。結局、女性候補であることを「くノ一」のような揶揄でしか国民に伝播しきれないマスコミの衰退である。

民主党がとるべき道とは何か(インタビュー)
http://www.miyadai.com/index.php?itemid=283

■小泉支持は、旧保守でなく、新保守=都市型保守です。背景にあるのが九〇年代を通じた旧保守から新保守への地殻変動。「新しい歴史教科書をつくる会」「2ちゃん右翼」が象徴的です。過剰流動性と生活世界空洞化で不安になって「断固」「決然」の言葉に煽られる「ヘタレ保守」です。
■亀井氏や綿貫氏の支持層は旧保守。旧保守は集権的再配分を目指すので左派的です。再配分を望む地方の弱者が、旧社会党じゃなく自民党を頼るのは自然。だから自民党政治が永続し、小選挙区制でも二大政党が実現しなかったのです。それが小泉氏で変わった。
■旧保守も旧左翼も団体的動員(土建屋的動員・組合的動員)を梃子とする同じ穴のムジナです。新保守は、団体的的動員とは無縁。天皇の尊崇と無関係なことを含めて、都市無党派層に近い性質を持ちます。この地殻変動に、旧保守が鈍感だったのです。

宮台は、あいかわらず「ヘタレ保守」と威勢がいいが、そのヘタレが大きな力を持ってきたことも事実である。この力が大衆動員的でないことが特徴であり、ムーブメントに流れ、それは時には、権力迎合的であり、弱者排除的であり、ナショナリズム的であり、そのような多様な側面を持っている。

今回の選挙が、新保守の拡大(都市型リベラルのとりこみ)ととらえる時、都市と地方が新たな対立軸になる。「都市が税金を納め、田舎の道がどうしてよくなるのか」というような、都市から見た不平等感は、言い換えれば「勝ち組に相当の配分をせよ」ということになるのかもしれない。

そこには、当然、地方の利権代表である地方利権誘導型国会議員(経世会型の集団)は、切り捨てられる。同様に、共産党社民党のように弱者の代表(ニュアンスがかたよるが)としての政党は「負け組の分け前の拡大」を目標とするのであるから、当然、政権党しての機能ははたせるほど、拡大はできないのであろう。
これは、国民が「サラリーマン大増税反対」というようなフレーズには踊らされない情況をつくっていることでも明らか だと感じる。

少し面白い視点で、
今こそ「公務員減らし=小泉改革」を進めよう!
http://list.jca.apc.org/public/aml/2005-September/003475.html
小選挙区制について
選挙結果に嘆息するAさんへの手紙
http://list.jca.apc.org/public/aml/2005-September/003453.html

そう、小選挙区制。これこそ民主主義の敵だ。数字を見てみればわかる。
比例の得票率と議席の占有率を見てみよう。

政党名  比例での得票率   議席占有率
自民党  38.2%       61.7%
民主党  31.0%       23.5%
共産党   7.3%        1.9%
社民党   5.5%        1.5%
 これは比例で得られた議席も含めて占有率を計算しているので、これを
のぞくともっとすごいことになるぞ。
政党名  比例での得票率   選挙区での議席占有率
自民党  38.2%       73.0%
民主党  31.0%       17.3%
共産党   7.3%        0.0%
社民党   5.5%        0.2%

僕の関心は、圧倒的与党(自民党公明党多数)中での、郵政よりも憲法の改正がどのようにすすむかにすでにある。

二酸化炭素による地球の温暖化はあるのか

 先日、九州と山口の企業がバックアップする団体のセミナーに参加した。
内容は、地球環境とエネルギー問題であった。この中に、地球温暖化の原因を二酸化炭素とする話があったが、講話を聴きながら、なにかすっきりしないものがあった。話を箇条書きにすると
 ・ イントロダクション エネルギーを消費する人類
   (夜の地球と都市部の光)
 ・ 石油(化石燃料)は無限か、また、今後の開発コストはどうなるか
 ・ 二酸化炭素地球温暖化の原因物質である
 ・ 二酸化炭素の排出と地球の温暖化
 ・ 新エネルギーが開発されてきている
 ・ 新エネルギーは石油代替のエネルギーになりえるか(疑問形で終わる)
 この講義の途中に、大型のビニール袋にビニール製の地球を入れたものを2つ用意して、一方は二酸化炭素をビニール袋に注入し、他方は普通の空気を入れる。この2つに光源を当て、内部の温度変化を測る。15分ほどして、温度を測ると、約2°Cほど二酸化炭素を注入した方が温度上昇している。
 対照実験であるが、これは「二酸化炭素が空気に比べて温室効果がある」という実験であり、何ら「地球の大気に含まれる二酸化炭素温室効果があることを証明する」ものではない。
 100%の二酸化炭素を入れたものと、地球の大気を比較する自体がナンセンスであるが、このような実験を目の当たりにした参加者の大部分は、二酸化炭素によって、地球が温暖化されるということを信じきってしまう。(信じていたこと確信する)
 この実験の悪質な点は、ビニール袋の中に、地球儀を入れていることである。これで多くの参加者は、すっかりこの実験を地球大気の実験とすり替えてしまう。この実験をしていたのは、九州の教員養成の大学の教員であるから、多くの学生がそのように思いこんで卒業してしまうのだろう。

二酸化炭素地球温暖化の原因物質であるかについて疑問を呈するサイトがある。
「環境問題を考える」  近藤邦明
http://env01.cool.ne.jp/index02.htm
このサイトの「二酸化炭素地球温暖化脅威説批判」をご覧あれ。
さらに、このサイトの「§6.社会問題としての地球温暖化」の部分に次のような記述がある。

6-3 社会問題としての地球温暖化
 人為的に排出された二酸化炭素によって、その大気中濃度が上昇し、温室効果の増大によって平均気温の上昇、特に寒冷な高緯度地方において顕著な気温上昇が起こるという、二酸化炭素地球温暖化説で描かれたシナリオは、たとえそれが現実に起こったとしても、これは生態系にとって好ましい変化であって、地球という定常開放系の定常性を破壊することはなく、したがって環境問題ではない。
 しかし、現実の社会では大多数の人々が、「二酸化炭素地球温暖化脅威説」に描かれたシナリオが現実に進行中であり、これが「現在の地球における中心的な環境問題なのだ」と『信じて』いる。それだけではない。各国政府は、このシナリオの下で現実の政策を立案して法制化しているのである。こうした、理由のない妄信的な信頼によって成立し、運営される政治は危うい。前世界大戦で苦い経験をしたはずのジャーナリズム、マスコミは、またしても同じ轍を踏もうとしている。
 既に、地球温暖化説が登場した歴史的な事実や背景については、多くの著書があるのでここでは繰り返さない。以下、現在の社会問題という側面から、どのようにして地球温暖化が信じられ、政策が立案され、一体誰が利益を得るのかを考えていく。

さらに、次のような記述がある。

(1) 先進国・企業の経済戦略

 既に先進工業国においては、物質的な、特に工業製品に関して、豊かさは飽和状態に達しつつある。また、一般に流通する工業製品生産については、途上国への技術移転が進み、安い労働賃金に支えられた安価で優れた製品が世界市場に大量に供給され始めている。その結果、先進工業国グループの世界市場における工業製品のシェアあるいは絶対的な生産量は低下傾向にある。
 更なる経済成長によって、あくなき豊かさを追求するために、先進工業国グループが世界市場において再びそのシェアを回復するためには、最先端技術を用いた新規の商品を開発することが必要である。その絶好の大義名分が「二酸化炭素地球温暖化脅威説」を背景とする「エコ商品」の投入である。
 それを国際的に制度として後押ししようとする枠組みが『京都議定書』である。冷静に考えれば、京都議定書の示す、各国に割り当てられた二酸化炭素排出削減目標あるいは排出権は不当なものである。これは、既に大量の二酸化炭素を排出して、物質的な豊かさを獲得した先進国グループの既得権益の保護と、途上国の正当で自発的発展の制限である。
 また、京都メカニズムあるいはクリーン開発メカニズムとは、先進工業国グループが最先端技術の新たな販路として途上国を確保することを強力に後押しするものであり、更にその見返りとして二酸化炭素排出権を自国に移転することによって、更なる市場支配力を強固なものにする。更に、二酸化炭素排出権取引という『仮空の市場』は、無から大金を生み出す仕組みとして、投機の対象として先進工業国にとって魅力的な市場である。
 日本国内においても状況は同じである。国家戦略として『エコ商品』開発を強力に後押しし、「環境にやさしい」という裏づけの無い謳い文句の下で、一般の市場価格より高い商品が売られ、あまりにも高くて普及が望めないような商品については国家補助という名目で税金が企業へ流れているのである。企業にとっては『エコ商品』は非常に収益性の高い魅力的な市場なのである。
 こうして、二酸化炭素地球温暖化脅威説によって、先進工業国グループは世界市場の支配権を将来的にも確保することが保障される。先進工業国グループにとっては、二酸化炭素地球温暖化脅威説の自然科学的な妥当性の検討など、どうでも良いことであって、世界市場における支配権の確保に有効であるから、二酸化炭素地球温暖化脅威説を強力に支持しているのである。

このサイトの管理人である近藤邦明氏の主張である。
最後に結論として、次のように記述している。

6-4 結論

 先進工業国・企業の世界市場における利権の拡大の野望の下で、更なる利益追求を目指す企業と、これを無批判に後押しし、同時に新たな利権にありつこうとする国、研究費によってこれに追従する大学・研究機関という産官学共同体と、その宣伝部隊としてのマスコミ・報道機関によって創られた多くの人が信じる共同幻想が、社会問題としての『地球温暖化』なのである。

 なかなか手厳しい批判であるが、僕が受けたセミナーなどは「共同幻想、社会問題としての『地球温暖化』」ということになるのだろうか。ここまで言い切るのはちゅうちょするが、このセミナーにはこれに近いニュアンスを感じるのは十分であった。
 このセミナーの団体のバックには、九州電力が控えているのであろうし、今、すすめようとしているプルサーマルMOX燃料)による電力開発をしようとしているのだから、直接的にプルサーマルに言及していなかったが、話のスジとしては、そこら方面に落ち着きそうである。

 地球温暖化の問題については、次のサイトも注目である。
「地球環境問題の歪曲」 田中 宇
http://tanakanews.com/f0827warming.htm
地球温暖化京都会議への消えない疑問」田中宇 1997年12月16日
http://tanakanews.com/971216COP3.htm
田中氏の興味ある記述。

工業化による環境破壊でまず目に付くのは、水質汚染や大気汚染といった従来型の公害だが、これらはほとんどの場合、工場がある国の内部の問題で、外国の勢力がとやかく言えるものではない。もし、ヨーロッパの市民団体が、中国の工場の煤煙や排水による中国の人々への悪影響を問題にしたとしても、一般の人々の関心はあまり引かないだろうし、内政干渉になるので、欧州各国の政府の賛同もまず得られない。

 その点、地球温暖化なら話は早い。中国の工場が出している二酸化炭素で、ニューヨークやロンドンの市民が被害を受けている、と言うことができる。温暖化と二酸化炭素との関係はまだはっきりしていないのだが、そこをあたかも自明の理であるように思わせるのが、「環境問題」という言葉の魔力なのであろう。

環境問題が政治的に扱われ、同時に、企業利益とグローバリズムにも関連している問題のようである。

 けして、日本映画が面白くなくなったわけではない、たとえば「リンダリンダリンダ」という映画を観たいわけであるが、現在は玄界灘に浮かぶ島暮らしで、まずは上陸し、2時間かけて福岡市に行き、映画を観なくてはならない、ということで、行けるのが土・日に限られて、さらに土曜日のシネテリア天神での「リンダリンダリンダ」の上映時間とミチロウのライブがかぶっているわけで、観るまでがたいへんということであるが、けっこう監督の方が気になるものである。

リンダリンダリンダ
http://www.linda3.com/main.html
監督 山下敦弘(やました・のぶひろ)
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%BB%B3%B2%BC%C6%D8%B9%B0
リアリズムの宿」の監督でもある。

政治は利権の収奪と再分配の仕組みと考えれば、今回の選挙騒動の意味が分かってくるように感じる。小泉総裁が自民党をぶっ潰すと言ったのは、多分に、地域利権の執行者(自民党国会議員)をさらしあげることで、どのようにして、本部執行部の権力を向上させるかにほかならないのだろう。亀井氏が、今回の小泉首相の解散の決断を読み違えたのは、解散した選挙が、政治の主体を選ぶ選挙と思ったのであろう。今回の選挙は、政治の主体ではなく、政治手法の選択の選挙であるように思っている。
国会議員が地域に利権の象徴になりえるか、なりえないかを問われるものである。では、地域を離れた国会議員は、何を頼りに活動するのかは明らかのように思う。それは、政党そのものである。
そのためには、地域利権の源泉としての郵政の問題をどうにかしなけれなという、小泉首相の考えは的を射たものである。しかし、同時に、利権を地方から収奪し、それをどのように再分配しようとするのかが見えてこない。いわゆる新自由主義としての「小さな政府」は、結局のところ立法の主体である国会議員を隷属させながら、強大な権力を持つのであろう。司法も同様に国家機能に従属されるのだろう。

今回の選挙の争点の一つが、郵政民営化である。今の政治の流れを見ると、政府は「小さな政府」を前面に出す。ただ、この後に続く言葉がないように思う。
表面上は郵政の問題であるかもしれないが、本質は、中央と地方の対立の問題ではないだろうか。自民党の今回の郵政反対議員の切り捨てと、それらに対する対立候補者の擁立は、中央の言うことを聞けという声であろう。
今日、新党「日本」の立ち上げは、まさに、地方の声から政治をつくるという長野県田中知事の地方からのメッセージになる。今回の新党「日本」の予定候補者を見ると、かなり慌てたつじつま合わせのようにも見える。田中知事が虎視たんたんとねらった中央への進出の機会を、今、逃してしまうと、かなりプランの後退を余儀なくされるという思いがあったのだろう。
彼のこの中央進出の思いと、郵政反対派議員の「顔」が欲しいと思う気持ちが一致したのではないだろうか。つまり、このまま小泉流の手法が支持され、構造改革されるならば、地方は完全に中央のいいなりになってしまう。これは、田中知事(新党日本代表)の思惑の地方から中央への路線が閉塞することにほかならない。
かなり、強引な新党立ち上げの裏にはこのような流れがあるのではないだろうか。ただ、田中知事が知事職にとどまるのはいかにも中途半端な感じがする。アンパイ持ちのマージャンでは勝負ができまい。それでも小泉首相からすると、田中知事の登場は、想定外だったかもしれない。
最初に書いたこと。「小さな政府」の続くのは「大きな権力」である。新たな形での中央集権化が進むのであろう。中央による地方潰しの時代が始まったのかもしれない。