宅間死刑囚の死刑執行

宅間死刑囚の死刑執行は、死刑制度の限界とその不透明さを見せる結果になったようだ。新聞各社の報道も、それぞれのスタンスがある。


「責任果たした気分になれぬ」大阪府警刑事部
http://www.sankei.co.jp/news/040914/evening/15nat003.htm

死刑執行の一報に、事件当時、大阪府警刑事部長だった松下義行さん(現府警察信用組合理事長)は「普通の事件であれば、(死刑執行で)捜査の責任を果たしたといえるだろうが、この事件だけはそんな気分になれない。遺族の悲しみ、苦しみはこれで終わるわけではない」と話した。

<宅間死刑囚>「死刑で当たり前」と話す 臨床心理士ら会見

 長谷川教授は、宅間死刑囚が思い詰めた表情で「自分が生まれてこなければ、こんなことは起きなかった」「自分のしたことで不幸になった人がいるのは分かる」「何の罪もない子どもたちは無念だったろうなあ」と話していたことも公表。宅間死刑囚は、転職や離婚を続けた人生を振り返った際、「なんで頭が回らんかったんやろう」などと、転機で違う道を選んでいれば事件に結びつかなかったと後悔の念を何度も口にしたという。
 主任弁護人だった戸谷茂樹弁護士も会見。「謝罪すべきだと思いながら、あまのじゃくのような生き方を貫いた」と宅間死刑囚のことを話した。
 戸谷弁護士が執行を知ったのは、この日午前10時半ごろ、宅間死刑囚と獄中結婚した女性の電話だった。同9時半ごろ、女性宅に大阪拘置所の職員が訪れ刑執行を伝えたといい、女性は弁護士に電話すると泣き崩れた。
 会見によると、宅間死刑囚は刑事訴訟法で定めた6カ月以内の刑執行を求め、「早く執行しないと、国を相手に本人訴訟を起こす」と迫ることもあった。一方で「自分がこうなったのは周りのせいだ」と過去に入院した病院や元妻らへの損害賠償の提訴も訴えた。戸谷弁護士は「死にたいと願う一方で、生に対する執着もある」とも感じ、「内心では謝罪の気持ちを持っていたと思うが、社会に恨みを持つ彼は最後までそれを口にしなかった。非常に残念」と肩を落とした。【一色昭宏】

宅間死刑囚、最後まで暴言

 1か月後の最終弁論では傍聴席の遺族の前で「死ぬことは全くびびってない。幼稚園ならもっと殺せた。今でもそんなことばかり考えてしまう」とも語った。

 昨年8月の判決公判。宅間死刑囚は、裁判長が主文を言い渡そうとした時、「最後に言わしてえな」と発言を求め、制止されても、「どうせ死刑になんねんから」と声を張り上げた。退廷を命じられると、遺族名を出して侮辱するような暴言を吐いて法廷を去った。

 判決翌日の弁護団への手紙では、「死ぬことは1番のワシにとっての快楽で全く怖くない」ともうそぶいた。昨年9月に控訴取り下げに際して弁護士に出した手紙には、「ガソリンでもっと殺してやったらよかった」と記し、早期執行を望む不敵な言葉を連ねた。

 一方、死刑確定後、宅間死刑囚は支援者の30歳代の女性と獄中結婚した。女性の方から、弁護団を通じて、「心の支えになりたい」と、結婚の意向を伝えられ、宅間死刑囚は差し入れられた婚姻届にサインして、弁護団に返送していた。

日弁連会長、死刑執行は「誠に遺憾」・声明発表
http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20040914AT1G1402L14092004.html

日本弁護士連合会の梶谷剛会長は14日、宅間守死刑囚ら2人の死刑が執行されたことについて、「誠に遺憾」とする声明を発表した。死刑確定囚から執行対象が決まるまでの不透明さや、議論が起こりにくい国会閉会中の執行について疑問を提示。「死刑廃止は国際的な潮流」として、「制度の存廃について国民的議論を尽くし改善を行うまで執行停止を強く求める」としている。

死刑廃止議連、死刑執行で法務省に抗議
http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20040914AT1G1402J14092004.html

声明では(1)死刑執行の停止(2)死刑についての情報公開の推進(3)死刑確定囚の処遇改善(4)犯罪被害者への物心両面での援助拡充――を要求した。
 宅間死刑囚への執行が判決確定から1年と異例の早期だったことについて、記者会見した山花郁夫事務局長は「心情の変化や謝罪を全く引き出せないなかでの執行で、本当によいのか」と指摘した。

凶行3年消えぬ傷 遺族「何も変わらぬ
http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200409140027.html

亡くなった8人の児童の父母は、昨年8月の死刑判決を受けて、声明を発表した。

 《たとえ刑が執行されたとしても、かけがえのない大切な子どもの命を暴力で奪われた私たちが、事件以前の生活に戻ることなど決してありません。深い悲しみとむなしさを心に抱きながら生き続けるほかないのです》

 その思いは、今も変わらない。

 当時、2年生だった女児を失った母親は「子どもは戻ってこない、という現実を突然、突き付けられたようで、悔しくて悲しくて涙が止まらない」と話した。「死刑は当然だが、執行されても私たちにとって何も変わらない。何とか前向きに生きていこうと思っているが、事件に引きずり戻された感じがする」。一方、父親は学校の対応への不信感を口にした。「宅間(死刑囚)の異常さばかりが強調され、学校の責任がうやむやにされていることが納得できない」

 死刑確定後も宅間死刑囚は、早期の執行を求めて国家賠償請求訴訟を起こす構えを見せるなど、家族の感情を逆なでし続けた。

 亡くなった別の2年女児の父親は「裁判では死刑を望むような発言をしていたが、死刑確定後に心境の変化があったのか、贖罪(しょくざい)の気持ちを持ったのかどうか。それが確認できないまま執行され、複雑な心境だ。死刑で本人の希望がかなったのであれば意味がない」と話した。また、2年女児を失った別の父親はかみしめるように言った。「娘を殺した犯人が食事をし、(私たちと)同じ空気を吸っている理不尽さが死刑執行でようやくなくなった。これで、本当のひと区切りがついたのかも知れない」

 事件で重傷を負った児童の母親は、死刑執行に釈然としない。「宅間死刑囚がこんなに簡単に死んでしまえるのが悔しい。刑務所の中で罪を償い、ずっとしんどい思いをしながら生き続けて欲しかった

死刑執行の宅間死刑囚、刑確定後も謝罪の言葉語られず
http://www.asahi.com/national/update/0914/022.html

宅間死刑囚が一時期、反省らしき言葉を語ったことがある。事件直後の01年7月、検察官の取り調べに「小学校を選んだのは、できるだけたくさん殺せると考えたから」「たくさん殺せば確実に死刑になるし、道連れは多いほうがいいと考えた」と語る一方で、「全然関係がない子どもの命を奪ったことに対して本当に申し訳ないという気持ちがある」と供述した。

 01年12月27日の初公判でも、起訴事実を全面的に認め、弁護団が用意した「生命をもって償いたいと思います」と書いた書面を読み上げた。

 しかし、検察官が起訴状を朗読している最中、「座ったらあかんか」とぶっきらぼうに声をあげるなど、その言葉が真意かどうかは分からないままだった。

 初公判から半年後に被告人質問が始まると、謝罪の気持ちがないことを明かした。「初公判でなぜ『償う』と言ったのか」と検察側から問われると、「裁判の判決の新聞記事でそういう言葉がよく出てくるから言っただけ」と語った。

 被告人質問では自らの半生も振り返り、自己中心的な言葉を連ねた。小学生のころから、思うようにいかないことがあると友達を殴ったり、つばをはいたりしていじめたと話した。中学校時代に父親から金属製の刀で殴られ、「寝ている間に包丁で刺したろかと思った」ことや、事件を起こすまでに離婚や転職を重ねたことなどにも触れ、「世の中、全員が敵だった」と、世間への一方的な不満をぶちまけた。

 「なぜ付属池田小を狙ったか」と聞かれると、「勉強ができる子でも、いつ殺されるか分からないという不条理を分からせたかった」と身勝手な動機を述べた。

宅間死刑囚、最近は生への執着も 面会の大学教授が会見
http://www.asahi.com/national/update/0914/029.html

犯行時の心境についても「途中からテンションが下がり、我を取り戻しかけた。『もう十分や、誰か止めてくれ』と苦しかった。後ろから羽交い締めにされた時、『やっとこれで終われる』と思ってほっとした」と語ったことも明かした。

 しかし、謝罪の姿勢はみられなかったという。長谷川教授は「幼少の頃から、(他人に)自分の身になって考えてもらったり、相手が間違っていた時に謝ってもらったり、といった経験に欠けていた。彼には謝罪という心の働きが理解できなかったのだと思う」と話した。希望があれば、遺族らに宅間死刑囚の言葉を伝えていきたいという。